スリランカ政府は、ダヌカさんが本人であることを証明
スリランカ大使館は「ダヌカ氏はダヌカである」と証明している
実は、この状況は簡単に打破できるはずだった。
ダヌカさんが服役中の2012年8月18日、スリランカ大使館が「ダヌカ氏は間違いなくダヌカだ」との証明書を出したからだ。その外国人が誰かを証明するのは日本政府ではない。その人の母国の政府だけだ。これにより、ダヌカさんは正式にダヌカと公認され、問題は解決されるはずだった。
ところがその証明が出ても、日本政府はなおもダヌカさんをP氏として扱った。ダヌカさんはスリランカに帰るにも帰れなくなってしまったのだ。
さて仮放免後、2度目の来日では何ら違法行為はしていないのに、刑務所と入管施設への収容で失われた自身の尊厳を取り戻すべく、ダヌカさんは人権回復の裁判を起こす。そして、その最中の2015年、ダヌカさんは、日本人と外国人との交流サークルで日本人女性のAさんと知り合った。
Aさんは「その表裏のない性格に惹かれ」ダヌカさんと付き合うことになり、同じアパートに住み、婚約をし、Aさんの両親もダヌカさんをとても気にいった。
ダヌカさんも、スリランカ大使館の証明書がある以上、絶対に裁判に勝てる自信があり、ようやくまともな幸せが手に入ると思っていた。ところが、ダヌカさん曰く「重要書類を提出しなかった弁護士のミスで」敗訴となり、「退去強制令書」(いつでも強制送還できること)が確定した。
ダヌカさんの手紙をもつ婚約者のAさん。「彼とならどこに住んでもいい。まずは収容施設から出してあげたい」
そして2017年7月6日、ダヌカさんはAさんに「品川に行く」と言い残してアパートを後にした。ところが、遅くなっても帰らない。そして、Aさんのスマホに「違う電話番号から電話する」とだけのLINEの連絡が入った。
この日、裁判が敗訴になったことで、ダヌカさんは仮放免の更新が認められず、即在に東京入管に収容されたのだ。そして収容に際しては、スマホやパソコンなどの通信機器は没収されるので、外への連絡手段は東京入管の収容施設に設置されている公衆電話だけになる。
筆者がダヌカさんと牛久入管で初めて面会したのは、昨年12月。このとき、面会許可申出書の被収容者名に「ダヌカ・ニマンタ」との本名を記入すると受付の男性職員は、「この人はいます。でもこの名前ではありません」と面会を許可しなかった。そこで私は「ダヌカ」の下にP氏の名前を列記。そして面会が実現した。
面会室のアクリル板の向こうに座ったダヌカさんは憤りを隠さなかった。
「私はここでは、職員にPと呼ばれます。でも、私は反応しません。スリランカ大使館から私宛の郵便物もここに3回届いていますが、ダヌカ名義の宛名だったので送り返されています。スリランカ大使館への電話でそれを知りました」
ダヌカさんをもっとも苦しめているのは「自分はいったいいつ出られるのか」との先の見通しがまったくたたないことだ。Aさんは毎週木曜日に面会に訪れるが、ダヌカさんの健康を心配する。
「ダヌカは1年半以上の収容生活で体重が8kgも減りました。不安定な精神状態で昼食もほとんど食べていないそうです。特に目の下の隈がひどい。真っ黒です。ああ、寝ていないんだなと可哀想になります」