イスラム法支配が強まる背景に天然ガス田の利権争いも
仕事の合間にアチェ特産のコーヒーで休憩する筆者(左)と仲間たち。現在のシャリアではこうやってパートナーではない女性と飲食するのも気を使う
現地で人権派として活動する弁護士に、公開鞭打ち刑の是非を尋ねてみた。曰く、「容疑者は世俗法で裁かれるか、シャリアで裁かれるかを選ぶことができます。鞭打ち刑から逃れようと思えば、世俗法で裁かれることを選択すればよいのです」とにべもない。
では、世俗法で裁かれた場合はどうなるのか。
「刑務所で数ヶ月、あるいは数年間過ごすことになるでしょう。それだと人生が台無しになるから、皆シャリアで裁かれ、刑がすぐに終わることを選ぶのです」
それでは実質的にシャリアを強制していることにならないか。現地のキリスト教徒に話を聞いた。
「私たちは宗教的儀式としてワインを使います。他教徒にまでシャリアを実質上適用することは、私たちの宗教と伝統の破壊行為です。ですが、私たちは圧倒的に数が少なく、議会に代表を送ることもできません。私たちもシャリアに従わざるを得ないのが実情なのです」
現地ジャーナリストは、別の側面も指摘する。
「インドネシア地域で史上初のイスラム王国が建国されたこの地では、もともとイスラム教徒が圧倒的に多く、独自のアイデンティティも強い。そのため、インドネシア建国後、武力紛争を含むアチェ独立闘争が長く続いてきました」
その武力紛争に終止符を打ったのは、皮肉なことに、2004年末に現地を襲ったスマトラ沖地震と、それに伴う大津波だった。アチェ州に一定の自治権が認められる形で独立紛争が一段落した後、シャリアは徐々に強化されてきた。
「アチェ州政府が市民の支持を強固にするためにシャリアを強化し、それを背景に中央政府との政治的駆け引きをしている」というのだ。
その裏にある経済的理由も忘れてはならない、と彼は強調する。
「アチェには天然ガス田があります。シャリアを強化して市民から強い支持を得ることで、中央政府とのガス田の権益交渉を有利に導こうと、綱引きを行なっているのです」
礼拝で賑わうバンダ・アチェのモスク
ここまで読むと、いかにも過激で腐敗した人びとの集まりのような印象を持たれるかもしれない。しかし、現地を実際に訪れた筆者の印象は逆だった。「アチェ・スマイル」と称される彼らの笑顔は、絶え間なく周囲を優しく照らしていた。彼らの鎮魂の場であるはずの津波博物館でも、祈りの場であるモスクでも。
筆者の友人が現地を一通り案内してくれた後、「これからお祈りだから」といって街で一番大きなモスクに連れて行かれ、境内で待つように言われた。手持ち無沙汰で周りを見回していた筆者に、若い女性たちの一団が声をかけてきた。現地の言葉が分からないので身振り手振りでコミュニケーションをとってみると、インスタグラムにあげる写真を撮って欲しいということらしい。
せっかくなので、手持ちの一眼レフで写真を撮り、あとで送るというと、キャッキャとはしゃぎ出し、皆思い思いにポージングを始めた。どこにでもいる普通の二十歳前後の女性像となんら変わらない。
夜遅くレストランで別の友人たちと夕食をとっていると、物乞いが現れた。友人はそれをうっとうしげに無視したので、理由を尋ねると、「彼らはモスクや政府が助けることになっている」と言う。そこで私は言葉を継いだ。
「たとえば、東京はとても豊かな街だ。でも、そこにもホームレスの人たちがいる。彼らに手を差し伸べる制度もあるけど、豊かな日本ですらそれが届いていないこともある」
礼拝に来ていた仲良し5人組の女性たち。インスタ映えを狙ってポージングする姿は全世界共通
次に同じ人が現れた時、彼はポケットからゴソゴソと小銭を出し、手渡した。再び食事を始めながら、彼は「人として、困っている他人を助けた方がいいと思って」とあっさり心変わりを認めた。制度やルールの上では私たちの価値観と相容れなくとも、善悪の判断基準までまるっきり違うというわけではないのだ。
公開鞭打ち刑を行い、それに歓喜して群がるから野蛮だとか人権無視だと非難することはたやすい。筆者も個人的には即座にやめるべきだと思うし、現地の人たちにもそう主張してアチェをあとにした。しかし、彼らには彼らを律する独自のルールがある。それを無視して、一方的にこちらの価値観を押しつけても、何も解決しないのではないか。
公開鞭打ち刑のような残虐なことをやめさせるためにどうしたらいいのか。一筋縄ではいかないけれど、それは単に相手が頑迷な教条主義者だからではないかもしれない。基本的な相互理解が不足しているからではないのか。こちらも教条主義になってはいないか。レストランで夕食を共にした友人の「人として」という一言が、それを雄弁に物語っている。
<文・写真/足立力也>
コスタリカ研究者、平和学・紛争解決学研究者。著書に
『丸腰国家~軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略~』(扶桑社新書)など。コスタリカツアー(年1~2回)では企画から通訳、ガイドも務める。