大阪維新という名の「東京への憧れ」

菅野完
大阪維新の会

ダブル選挙に関して会見する大阪府の松井一郎知事(左)と大阪市の吉村洋文市長(写真/時事通信社)

「あの日」以降、大阪で聞かされ続けてきたこと

 大阪府知事と大阪市長の双方が任期を8か月以上も残したまま同時に辞任したのは、この3月の上旬こと。  あの日以降、取材で大阪に帰るたび、取材相手や街場で行き交う人から、来るべき「W選挙」や「都構想」について意見を聞かされ続けてきた。  といっても、別に改まってこちらから意見を聞くわけでもない。取材が終わった後の雑談や、飲み屋で隣に座った客から話しかけられた際に、折をみてぼそっと「どないおもわはりますの?今度の選挙」とか、「都構想、どう思わはりますのん?」と、尋ねるだけだ。  普段ならそんなことはしない。だが、明らかにお相手さんのほうが、「え?選挙のこと聞いてくれへんの?」「維新のこと聞かへんの?」という顔をしている。こちらから聞こうともしてないのに、聞くように聞くように話をもっていく。こちらとしては、それに合わせて、ご意見を承るという仕儀に、どうしても相成る。  自ら進んで、選挙の話を聞いてくれ、維新についての見解を聞いてくれと水を向ける人々が、どちらか一方の陣営=つまりは、維新か非維新か=の支持者に偏っているわけではない。かれこれ三十人近い人と話をしたと計算になるが、手元に残るメモをみると、その比率はおよそ半分半分。ただ、一点だけ共通点がある。―――私を、「久しぶりに東京から大阪に帰ってきた大阪の人間」だと認識しているという点だ。

「東京から見たら、どないや?」

 例えば、先日、玉造駅前の居酒屋で隣に座ったオッチャンとの会話はこんな感じだ。 「にいちゃん、どっかで見たことあるな。どこの人やったかいな。どっからきたん?」 「僕ですか?僕、東京です。」 「うそやーん。そんなベタベタな大阪弁しゃべる東京の人おらんやろ」 「僕、奈良出身ですねん。若い頃、大阪住んでたんですけど、いまは東京ですねん。大阪は仕事でもどってきましてん」 「そうかぁ。大阪、変わったやろ?なぁ。玉造の駅前も、昔とえらいちがいや」 「そやけど、清水谷とか空掘のあたりとか、まだ、昔のままのとこありますやん。ああいうとこみたら、ホッとします」 「そうかぁ。東京からはそう見えるかぁ。まあ、そろそろ選挙やし、どないなるんやろうなぁ」  ここで、オッチャンは、じっとこっちの目を見る。その目は明らかに「俺の政治談義を聞かんかえ!」と訴えている。当然、ビールを奢り、傾聴仕ることになる。  このオッチャンに限らず、取材相手の議員や役所の人や自営業者や子育て中のパパママや、ありとあらゆる人が、みな、言外に「東京にいった人間からみたら、今の大阪、どない見えるんか、いっぺん、聞かさんかい」「東京にいったお前には、今の大阪がわからん。俺が聞かせたる」という断々乎たる意思を内に秘めて、「ほんで、どやねん」と、ぐっと顔を前に出してくる。
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「大阪維新」が猖獗を極めた原因
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