考えてもみよ。大阪で維新なる政治勢力が生まれて10年になる。その間、彼らはずっと改革を叫んできたが、まだ改革し足らないという。そして、改革の行き着く果てに「宿願」だからという理由で、「都構想」なる訳のわからない代物を再び住民投票にかけたいという。一度住民投票で負けたのにもかかわらず、だ。しかもそのためには、首長職を途中で放り投げることもいとわないのだという。「創価学会・公明党に騙されたままでは、死んでも死に切れない」というのが理由らしい。
都構想は彼らの「宿願」なのだろう。創価学会・公明党との政治的合意がほごにされたのは「死んでも死に切れない」ほど悔しいのだろう。しかしこの両者とも、「知らんがな」の一言で済む、単なる感情論でしかない。感情論を前面に押し出し、感情論を根拠に、自分の職を放り投げ、感情論で、数億円かけて選挙をするというわけだ。こんなもの、維新の好きな言い回しを使えば「民間企業なら通用しない、無能」としか言いようがあるまい。無能が改革するのだから、改革が終わるはずがない。
5月1日からは新しい元号が始まる。改元は時代の区切りではない。時代を区切るのは人々の営みのありようだ。
ここいらで新しい時代を迎えるためにも、「改革を叫ぶ無能の群れ」を過去のものとして葬り去る必要があろう。
<取材・文/菅野完>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『
日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。現在、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中。また、メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(
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