なぜ、日本の多くの男性は妻子に突然、縁を切られるのか<モラ夫バスターな日々3>
弁護士である私、大貫憲介がモラハラ夫について述べていく本連載。
第1回、第2回と妻側から離婚を概観したので、今回は、視点を変えて、夫側から離婚を概観する(本連載での具体的事例は、プライバシー保護の観点から適宜加工して、案件を特定できないようにしています)。
夫が離婚を求めるとき、その陰には女がいることが多い。妻は、夫に対する我慢が限界に達し、離婚を求めるのに対し、夫は、他の女に心移りして離婚を求める。
夫は、「嫌いになったわけではない」「お前に女を感じなくなった」などと述べて妻から去ろうとする。また、少数ながら、妻の暴力やモラハラに苦しんだ末の離婚もある。
これらは、語れば、それぞれにドラマがあるが、連載のテーマから外れるので、脱線はやめておく。
さて、妻がある日当然、家を出て行き、離婚を突き付けられた男性の話をしよう。中堅企業に就職し、仕事一筋で生きてきた50代後半の男性である。中年離婚の典型的な案件と言っていい。
男性は語る。
「学生時代は、よく遊び、ときに勉強し、楽しく過ごしました。大学のサークルで知り合った、美人の同級生と結婚しました。君を必ず幸せにすると約束し、その約束を忠実に守ってきたつもりです。
男の子が生まれ、夫婦で話し合い、妻は退職し、専業主婦になりました。
妻は、多少は、キャリア継続に未練があったようでしたが、最終的には、少なくとも3歳までは、母親の手元で育てるべきとの私の意見を尊重して貰いました。一人っ子では寂しいだろうと、3歳年下の娘も産んで貰いました。
私は、残業や接待も多く、帰宅は、しばしば夜中でした。妻には寂しい思いをさせました。平日の仕事で精魂尽き果てて、土曜日はゆっくり起きてきて、リビングでテレビを観たり、ゲームをしたりして、身体を休めました。妻が出かけるときは、子どもたちの面倒をみましたが、ソファで寝てしまったときは、妻に叱られました。
日曜日は、家族サービスに努め、家族で出かけました。遠くに出かけないときは、子どもを連れて近所の公園で遊びました。
子どもたちは、中学生になった頃から、私と口を利かなくなり、休日などは、自室にこもるようになりました。
その頃だったと思います。妻が、夜は疲れたと言って先に寝てしまうことが多く、モヤモヤしていました。酔って帰った晩、寝ていた妻とセックスしました。翌日から、寝室が別々になっていました。
それからは、妻は必要最小限のことしか言わなくなりました。しかし、寝室が別々になっただけで、別居直前まで、性生活もあり、妻は食事も用意し、洗濯も含め、私の身の回りの世話もしてくれていました。若い頃の情熱はなくなりましたが、中年夫婦の愛は、こんなものだと思っていました。
そして、今年、娘が大学に合格しました。それから2か月もたたないある日、妻と子どもたちが突然いなくなりました。夜帰宅したら、自宅がもぬけの殻になっていたのです。
リビングのテーブルの置手紙には、『もう一緒に暮らすのは無理です。別居します』と書かれ、依頼したという弁護士の名刺が添えてありました。
私は、驚いて、妻の実家に電話しましたが、何も聞いていないの一点張りでした。諦めて、妻の弁護士と会うことにしました」
妻がある日突然、いなくなった男性の例
寝ている妻を抱いたら、次の日から寝室が別になっていた
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この連載の前回記事
2019.03.10
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