映画界では、先月ベテラン俳優のリーアム・ニーソンが大炎上した。ニーソンは最新作のプロモーションインタビューで、約40年前、友人女性が黒人にレイプされと知って、報復を試みたことがあると告白。事件が起きた直後、黒人が喧嘩を売ってくれば「殺してやれるのに」と、棍棒を持ってうろついていたと語ったのだ。
ニーソンはその行為が間違っており、恥ずべきことだとして例に挙げたのだが、人種差別だと批判が殺到。レッドカーペットの出演もキャンセルされ、俳優としてのキャリアが終わったという意見も出ている。
さらに、ニーソンの炎上事件に関連して、『ガーディアン』には「
ジョン・ウェインの人種差別、同性愛嫌悪に驚くべき?」という記事も掲載された。
この記事によると、‘71年に行われたインタビューで、ウェインは「白人至上主義を信じている」「(同性愛者が主人公の)『真夜中のカーボーイ』は2人のホモの話だ」など、現在であれば考えられない暴言を発していたという。
“移りゆく社会情勢に照らし合わせて、映画のヒーローを変化させることは必須だ。ウェインが作った映画の多くは、完全に人種差別的な理念に則っており、非白人文化に汚名を着せ、アメリカは白人のものであると主張している”
単に「そういう時代だったから」の一言で済ませてしまうは間違っているというわけだ。注目したいのは、この記事は決してウェインの出演作を発禁・検閲しろとは主張していないところだ。
有名人の不祥事が起きたときは、作品を封印して「なかったこと」にしがちだ。また、「嫌なら観るな(聴くな)」と短絡的な結論に至る人も少なくない。しかし、それでは本当の意味で社会が、我々が前進しているとは言えないはずだ。
居心地は悪いかもしれないが、少し立ち止まって、どう付き合っていけばいいのか、何が問題なのかを考えてみることが大切だ。
<取材・文/林 泰人 写真/時事通信社>