「多様性」に免疫がない日本社会に、これから求められるものとは?
多様性が求められる場でこれらの配慮を欠くと、世論はたちまち紛糾する。
例えば、昨今人種や性差別に揺れているアメリカのアカデミー賞。
今年の受賞作品や俳優陣にはマイノリティが多く存在し、今までにないバラエティに富んだ名前が並んだと評価する声が挙がるも、一方では、黒人の市民権を描き作品賞を受賞した「グリーンブック」が、白人が偉そうに上から目線で説教する「ホワイトスプレイニングだ」として批判を受けている。
その他にも、昨年プラダが販売した架空のキャラクター「オット」が黒人を差別しているという批判を受け販売中止になったり、ハーバード大学が入試において、アジア系学生の不利になるような選考プロセスを使ったとして訴訟騒ぎにまでなるなどの事例がある。
また、よく知られた話だが、アメリカでは履歴書への生年月日や人種、出身国、性別、宗教、婚姻状況などの記載や顔写真の添付は、「雇用差別禁止法」によって禁じられており、提示を求めればこちらも訴訟を起こされることがある。
多様性の高い国や都市は、「個性」と「差別」が背中合わせの状態にあり、そこで生きる人々も自身のアイデンティティを守るべく、常にアンテナを常に高く張っている。
それに対して多様化に比較的乏しい日本人は、こうした感覚にはとりわけ鈍感で、「ブラックフェイス」や「ホワイトウォッシュ」に対しても、事の重大さにいまいち気付けず、「何が悪いんだ」となってしまうのだ。
人種の違いに敏感な彼らとより深く共生していけば、他民族国家で起きるこれらのようなことが、日本でも少なからず起き得る。
全く悪気があって放った言葉ではなかったとしても、人知れず深く傷つく外国人は多い。
このような誤解や悲劇を出さぬよう、日本の外国人に対する意識を今一度見直さないと、いつか人種差別で外国人側から訴えられてしまうケースも発生してしまうかもしれない。
【橋本愛喜】
フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。