MC救世神教の麻疹集団感染をめぐっては、感染した若い信者の1人が大阪の京セラドームでAKB48の握手会に参加したことが判明した。行政だけではなくAKB48の公式サイトでも握手会のほかの参加者たちに注意を呼びかけ、その報道が注目された。ネット上ではこの若者を「テロリスト」呼ばわりする声もあった。
AKB48公式サイト
しかし、その若者本人も、その若者にワクチンを接種させずにいた親すらも、人に害をなそうなどと考えてはいなかっただろう。親は、子供が麻疹にかかっても構わないとも考えていなかったはずだ。MC救世神教の教義では、それらはすべて手かざしで解決できことになっているのだから。
オウム真理教の場合、ポア(魂をより高い世界へと救い上げる→殺す)という独特の教義やグル(指導者)への帰依など、信者にテロを実行させる至った様々な宗教的な装置があった。しかしそうは言っても、サリンを撒けば人が死ぬということを実行犯たちが知らなかったわけではない。
しかしMC救世神教の場合、ワクチンを接種しなくても害はないと信じている。これは「テロではない」のか、それとも「
自覚なきテロ」なのか。
どちらとも言えそうだが、現実問題としては後者として捉えたほうがいいのかもしれない。稀なことではあるだろうが、宗教ではこのように、悪意どころか加害の自覚すらない「
事実上のテロ」が起こることがある。
詳細は省くが、数年前、別のあるカルト宗教で、「
エボラ出血熱の感染者を日本に入国させ、騒ぎになったところで教祖の能力で治して見せれば教団の宣伝になる」という計画が浮上したと耳にしたことがある。教祖が却下したため実行に至らなかったというから、これが事実なら、その教祖や幹部たちは、教祖の病気治し能力に自信がなかったのだろう。
能力の限界を自覚しているインチキ教祖がリーダーシップを発揮すれば、この手の無自覚テロは起こらない。本気で信仰している真面目な宗教集団ほど危険だと言える。
ただし注意したいのは、こうした宗教によって「
事実上のテロ」が起こるとき、実行させられる信者たちもまた、それが正しいこと(あるいは無害な行為)だと信じ込まされている
犠牲者だという点だ。ましてや2世信者の場合、麻疹ワクチンの接種がなかったのは本人の意思ではない可能性が高い。
この場合、たとえ「事実上のテロ」であったとしても、個々の信者はやはり「テロリスト」ではない。責めるべきは個々の信者ではなくMC救世神教だろう。
医療拒否の中でも、他人に感染するたぐいの
感染症ワクチンの拒否は、教義を信じておらずその宗教集団と接点すらない人々にまで害をなす。公衆衛生の観点から言えば、MC救世神教について「ワクチン」という側面に注目が集まるのは当然だ。
しかしそれだけでは、MC救世神教の根底にある医療拒否の危険性を正しく認識することはできない。MC救世神教のワクチン拒否は飽くまでも、医療全般への否定の一端だ。仮にMC救世神教がワクチンについてだけ保健所の指導等に従ったところで、いつ死者が出てもおかしくない宗教団体であることに変わりはない。
手かざしや砂糖玉では、人は死なない。医療を拒否する・させるから悲劇が起きる。カルト問題に取り組む山口貴士弁護士は、この点についてこう語る。
「ワクチンや医療が毒だと言うなら、医療を受けた上でその毒を手かざしや砂糖玉で消せばいい。それなら信仰と医療は両立できます」
もちろん、当事者の感情はそう簡単には片付かないだろうし、そもそも効果のないものをあるかのように謳って人々に信じさせる行為自体が問題だ。しかしそれはそれとして、当事者たちがせめて医療を拒否しない・させないようになることが、最重要の課題だろう。
MC救世神教の集団感染問題は、ワクチンにとどまらずこうした点を考えなければ、有益な議論や教訓にならない。
※参考文献:『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビューズ」の論理』(藤田庄市、春秋社)
<取材・文・写真/藤倉善郎(
やや日刊カルト新聞総裁)・Twitter ID:
@daily_cult3>
ふじくらよしろう●1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『
「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)