その中で、米軍や新政府は、「対テロ」の名の下、テロと無関係の市民をも数万人規模で拘束し、拷問や虐待を加えた。女性たちも拘束され、性的暴行を受けたとされる。奇しくも、ISがイラクで一気にその勢力を広げる直前の2014年2月、国際的な人権団体「ヒューマンライツ・ウォッチ」は「約4200人のイラクの女性たちが、イラク新政府に不当に囚われ、性的なものを含む拷問や虐待を繰り返している」との報告書を発表した。
Iraq: Security Forces Abusing Women in Detention
だが日本を含む国際社会は、こうした人権問題に対してあまりに無関心であった。つまり、ISというモンスターは、米軍を中心とする多国籍軍や、イラク新政府の写し鏡でもあったのである。イラク戦争と占領による暴力、それに対する激しい憎悪こそ、ISが生まれ台頭した根本的原因であった。
米軍による掃討作戦で拘束された人々。その地域で米軍への攻撃があったというだけで、テロとは無関係の一般市民も根こそぎ拘束された。イラク・バグダッドにて筆者撮影
日本もまた政府としてイラク戦争を支持、イラク占領の中での暴力や人権侵害に対しても、航空自衛隊が米兵を輸送したり、イラク新政府へ人権問題を問うことなく多額の援助を行ったりと加担してきた。
そうした日本の振る舞いもまた、ナディアさんやヤジディ教徒の人々が直面した地獄へとつながっているのだ。だからこそ、この映画を観る日本の人々には、単なる感動のストーリー、勇気ある女性の物語とだけで観ないでほしい。
我々は虐殺や人権侵害を止められなかった側、間接的にせよむしろ加害者側ですらあることを自覚して、ナディアさんの訴えに耳を傾けてほしい。
【ニュース・レジスタンス】
取材・文/
志葉玲(ジャーナリスト)