ナディアさんの活動を語るうえで欠くことができないのが、ヤジディ教徒の唯一の希望としての、彼女が背負う重責だ。ヤジディ教とは、イスラム教にゾロアスター教やミトラ教などさまざまな宗教の要素が入り混じったもので、そのルーツは12世紀頃まで遡る。
神への絶対的な帰依を根本原理とし、偶像崇拝を禁じるイスラム教の勢力圏下において、神にこの世の管理を任された天使の長「孔雀天使(マラク・ターウース)」を主たる信仰の対象とする。その像を拝むヤジディ教徒は「邪教徒」として迫害されてきた歴史がある。
外界との接触を避け、イラク北部の山岳地帯でひっそりと暮らしてきたヤジディ教徒は、現在その数50万人ほどとされる。2014年夏以降のISによる虐殺はまさにヤジディ教を根絶しうる脅威だった。
本映画の中でも、ナディアさんは繰り返し「ヤジディの信仰を守ろう」と同胞たちを鼓舞している。ヤジディ教徒の中でも最も国際社会から注目されることになったナディアさんは、戦時性暴力の証言者としてだけでなく、絶滅の危機に瀕する同胞達のアイデンティティを救うことも、背負わざるを得ないのだ。
難民キャンプのヤジディ教徒達を訪問するナディアさん。(c)RYOT Films
この映画は、1人のうら若い女性が背負うには、あまりに重すぎる運命の中で、時に「普通の女の子として生きたい」と葛藤しながらも、自らの使命を果たそうとするナディアさんを淡々と追っていく。その静かさが、むしろ観る者を圧倒し、彼女のひたむきな姿に最大限の敬意を抱かせるのだろう。だが、ナディアさんの覚悟と信念に、間違いなく筆者も感銘を受けた一方で、何とも居心地の悪さも感じた。
ナディアさんやヤジディ教徒の人々を苦しめたり、殺害したりしたのは、ISだ。その行為は絶対に許されるものではなく、厳しく責任追及されなくてはならない。だが、ISというモンスターを生み出したのは、そもそも何であったか?
それは、イラク戦争だ。「大量破壊兵器を隠し持ち、国際社会を脅かそうとしている」という米国の誤った情報、言いがかりによって始められた戦争。米軍を中心とする有志連合による占領はイラクの人々を宗派や民族で分断し、その占領の下で打ち立てられたイラク新政府も、分断をより深めていった。