ドゥルセ・デ・レチェの発祥はアルゼンチンでは1829年6月24日だと日付まで指摘されている。
その日にブエノスアイレスのフアン・マヌエル・デ・ロサス知事と政敵のフアン・ラバーリェ将軍との間で内戦停止の協定が結ばれたのであるが、その時に同知事のメイドがミルクに砂糖を加えてミルクを火にかけたままにして消すのを忘れていた。気が付いた時には甘いキャラメル状のものになっていた。それをロサス知事は気にいってラバーリェ将軍にも勧めて協定が成立した。それが前述の6月24日だったということから、その日がドゥルセ・デ・レチェの発祥日となったのである。(参照:「
La Nacion」)
アルゼンチン以外にもラテンアメリカには同じものが同名或いは別名で他の国にも存在しており、アルゼンチンが発祥の国だとは断定できないところであるものの、ドゥルセ・デ・レチェの輸出はアルゼンチンがリーダー国となっているのは紛れもない事実である。
<文/白石和幸>
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身