納沙布岬から眺める北方領土 ぴー / PIXTA(ピクスタ)
私は、国会を含む政策決定過程や地域エネルギー政策を含む公共政策を専門とし、外交政策は専門領域と言えない「門外漢」です。いわゆる「北方領土」問題については、約20年前の修士時代に、故・神谷不二先生(元防衛学会会長)から直接、外務省大臣官房国内広報課『われらの北方領土(1996年版)』を教科書とし、半年にわたって講義を受けただけです。ですので
「北方四島は日本固有の領土」という日本政府の主張について、疑問を抱かずにきました。
そうした門外漢であっても、安倍晋三首相による二島返還を軸とする日ロ交渉(例えば
「首相、北方領土問題の進展示せず事実上2島に絞り交渉」朝日新聞2019年1月23日付)については、素朴な疑問を抱いてしまいます。尖閣諸島や竹島については、強硬な姿勢を繰り返してきた安倍首相が「北方領土」については、強硬な姿勢どころか、弱腰と批判されてもおかしくない姿勢だからです。日本政治を研究していれば、これまでの
右派がもっともこだわってきたのが「北方領土」ということを、誰もが知っています。
なぜ、安倍首相は「北方領土」に対する日本政府の姿勢を変更したのでしょうか。
その
手がかりが戦後日本の受諾・批准した条約等にあると、孫崎享先生(元外務省国際情報局長)から教えていただきました。日ロ間をはじめとする政府同士の外交では、当該国の姿勢・主張の基盤が受諾・批准した条約等にあるというのです。したがって、この「北方領土」問題においても、関係する条約等をつぶさに見れば、自ずと結論が出ると。
孫崎先生の指摘は、私にとって衝撃的でした。なぜならば、関係する法令を最初にチェックするのは公共政策の基本であるにもかかわらず、こと「北方領土」問題については、そうした見方をしてこなかったからです。孫崎先生は、外務官僚ならば皆知っているとも仰っていました。
そこで、ゼロから「北方領土」に関する条約等を読み解いていきます。なお、原文や日本政府の説明の出典については、特に明記しない場合、前出『われらの北方領土』に基づき、それ以外は明記します。
戦前の大日本帝国と戦後の日本国を分ける分水嶺は、1945年8月14日に日本政府が受諾した「ポツダム宣言」です。戦後日本の領土については、第8項にあります。
“
「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ”
「又は」以降が、具体的に領土を規定しています。要するに、
戦後日本の領土は「本州・北海道・九州・四国と、連合国の決める周辺の小島だけ」ということを、日本政府は公式に認めたのです。
これが、戦後日本の領土に関する出発点です。
それ以前の領土に関する条約や歴史的な経緯は、まったく関係ありません。「本州・北海道・九州・四国と、連合国の決める周辺の小島だけ」と、日本政府が認めてしまったからです。つまり、
リセットボタンを押したのと同じなのです。
それでは「連合国の決める小島」の中に、北方四島は含まれるのでしょうか。ここは、大きな論点となります。
ポイントは2つで、第一は「連合国の決める」ということ、第二は「小島」ということ。両方に当てはまることが、条件になります。第一の「連合国の決める」は、ポツダム宣言受諾の時点では不明ですので、後で検証します。
後者の
「小島」とのポイントを見ると、択捉島と国後島は明確に当てはまるといい難いところです。北方領土返還運動に取り組む
標津町のホームページによると、択捉島は3,168㎢(鳥取県3,507㎢)、国後島1,490㎢(沖縄本島1,207㎢)、色丹島251㎢(島根県隠岐本島242㎢)、歯舞群島95㎢(小笠原諸島104㎢)との面積になっています。
択捉島と国後島を含めて国内の島の面積を比較すると、1位は択捉島、2位は国後島、3位は沖縄本島、4位は佐渡島854㎢、5位は奄美大島712㎢です。色丹島と歯舞群島は、ポツダム宣言の受諾後も日本の主権が認められ続けた佐渡島よりも小さいため、少なくとも「小島」に該当しますが、四国に次ぐ大きさで、戦後の一時期、アメリカの信託統治領となっていた沖縄本島よりも大きな択捉島と国後島は、難しいところです。
この点について、日本政府は、これまで次のように説明してきました。
“
日本は、ポツダム宣言で明らかなように、この宣言がカイロ宣言の原則(筆者注:領土不拡大)を引き継いでいると考えて、降伏の際、ポツダム宣言を受諾したのであり、また、ソ連もポツダム宣言に参加した結果としてカイロ宣言の領土不拡大の原則を認めたものと解されます。”
それでは、カイロ宣言はこの点をどのように言及しているでしょうか。
“
右同盟国は自国の為に何等の利得をも欲求するものに非ず領土拡張の何等の念をも有するものに非ず”
これは、連合国の考え方を示したもので、
連合国自身が「領土不拡大」を約束したものとまでは読めません。英語の原文を見ると「have no thought of territorial expansion」とあり、より明白です。素直に読めば「日本に色々と領土の放棄を求めるけど、連合国の領土を拡大するためではない」という
エクスキューズ(言い訳)となります。
“They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expansion.”(参照:
国立国会図書館ホームページ)
ポツダム宣言第8項のカイロ宣言に関する言及を素直に読むと、この文の後に続く、南洋諸島や満州、台湾等の植民地や占領地等の放棄を求めたものと解するのが自然です。それに、ポツダム宣言でのカイロ宣言への言及と領土の規定する文は「and(又は)」で接続されており、植民地等を全部放棄して「そして、本州・北海道・九州・四国と、連合国の決める周辺の小島だけ」と規定されています。
何よりも重要なことは、この
ポツダム宣言について、日本政府は一切の留保をつけることなく受諾(無条件降伏)したのです。もちろん、ポツダム宣言の解釈の決定権は、ソ連を含む連合国にあります。残念ながら、上記の日本政府の説明は、解釈権が留保されているかのようですが、そのようなことは一切ありません。