スペイン・アンダルシア自治州議選で極右が初議席。その背景と波乱が予想される今後

アンダルシアの政治的背景

 スペインはフランコ将軍が亡くなって民主化へ移行する時に、全国を17の自治州と北アフリカの先端にあるセウタとメリーリャの2つの自治都市での政治体制を確立させた。  歴史的にスペインは小国が集まって出来た国ということで、スペイン人は国家を慕う気持ちよりも自分が育った地方(嘗ての小国)に愛着を強く感じる国民性である。  しかし、フランコ将軍はそれを無視して中央集権体制を強化した政治を行っていた。例えば、カタルーニャ地方では公用の場でのカタラン語の使用を禁止して、スペイン語(公用語)の使用を強制した。フランコ将軍が1975年に亡くなって、民主化への道を歩み始める時に、それまでの中央集権体制への反動から各地方は嘗ての小国への復帰を民主化の中で反映させたいという要望が高まったのである。  それが全国を17の自治州にした理由であり、それ以降自治州が中央政府に相談なく大半の政治行政が行われるようになっている。唯一、自治州政府に存在しないのは外務省である。これはスペイン政府が担うことになっている。(ちなみに、カタラン州だけは憲法違反ではあるが、カタルーニャ大使館をヨーロッパや米国に開設している。ラホイ前首相がカタルーニャの自治機能を停止させた時はカタルーニャ大使館はすべて閉鎖させるという経緯もあった。自治機能の停止が解除されてからそれが今また復活している)  この自治州政治によって嘗ての小国は自国の言語を復活させるようにもなった。カタラン語、バレンシア語、ガリシア語、バスク語が学校の授業や官庁の文書などにも使用されるようになっている。また、地方政党が自治州で政権を担うようにもなった。それは、カタルーニャ州とバスク州で顕著である。  このような歴史的また政治的な背景の中で、アンダルシア州は大土地所有者が存在していた一方で、貧困層の存在も顕著であったことから社会主義思想が発展した。アンダルシア地方が社会労働党の党員が全国で最も多いというのもこのような背景があったからである。  フランコ将軍中央集権体制化でアンダルシア地方の発展は遅れた。その遅れを社会労働党が1982年に政権に就いてから取り戻すのである。当時のアンダルシア州の首府セビーリャ出身のフェリペ・ゴンサレス首相が14年間政を担っている間にセビーリャ万博が開催され、それに合わせてスペインで最初の高速列車をマドリードからセビーリャ間に開通させたりして、社会労働党による政治はアンダルシアの発展に貢献したのである。そして同党の党員の多さとで、これまで36年間アンダルシア州は社会労働党が政権を担うということがお決まりのようになっていたのである。  しかし、アンダルシアの社会労働党の政治家や官僚の間で汚職が明るみになって裁判になり、経済も低迷が続き失業率は全国で最も高い記録を維持している。  その影響で、2004年以降社会労働党への支持率が下り続けるという事態になって行ったのである。2015年の選挙でも47議席となり、過半数の55議席に届かないということで新興政党シンダダノスの9議席を足して政権を維持していた。  しかし、そのシンダダノスが、連携した時の約束が果たされていないとして連立政権を解消。その結果、スサナ・ディアス州知事は安定政権を運営できないとして、本来は来年3月に4年の任期満了時に行われるはずだった選挙の前倒しに踏み切ったのであった。
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議会は波乱必至。再選挙の可能性も!?
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