「歴史的事実は誰が書いても一緒」にはならない、たった一つの確かな理由~百田尚樹氏『日本国紀』

歴史的事実は誰が書いても一緒?

 私を含め『日本国紀』のコピペ箇所の検証を行っている人間には、同書の愛読者と思われる方々から判で捺したような意見が寄せられます。その意見とは、「お前らの指摘はコピペの証拠にはならない。なぜなら歴史的事実は誰が書いても一緒だからだ」といったものです。百田尚樹氏自身も11月20日の虎ノ門ニュースでWikipediaとの類似が指摘されている箇所について「それ歴史的事実やし、誰書いても一緒の話や」と述べています。  これは一見もっともらしい意見のように見えます。たとえば「794年に平安京遷都があった」という文章は既知の事実を伝えるだけのものでしょうから著作権の保護対象とはなりませんし(著作権法第10条第2項)、これを「平安京遷都が794年にあった」「794年に平安京への遷都があった」「794年、遷都だよ、平安京!」などと多少改変したところで創作性が認められるとは必ずしもいえないでしょう。したがって、「歴史的事実は誰が書いても一緒」というのは、こうしたごく短文の事実を述べたものについてはその通りです。  しかし、『日本国紀』の場合、数百から1000字以上もの語がWikipediaと細部の表現や”てにをは”まで一致しています。私は上記のような意見を言う方々に対し、試みに次のような質問を投げかけてみました。 「あなたのこれまでの全ツイートを、複数の人が800字で要約したとして、全員が同じツイートを取り上げ、同じような言い回しや話題の展開・順序で要約文を書くと思いますか?」  残念ながらいまのところどなたも「全員が同じになる」とは回答してくれず、「歴史的事実は誰が書いても一緒」という従前の意見をただ繰り返すばかりでした。  一般論としても、何かについてまともに調べて書くという営みは、書かなかった大量の情報を捨てることの上に成り立ちます。調査や取材をして集めた情報を単に羅列したとしても、それは雑多なメモの集積でしかありません。各情報に優先順位をつけて取捨選択し、工夫を凝らして配列・整理し、文飾を加えてはじめて筋の通った文章ができあがります。  歴史を叙述する際も同様で、歴史家は必ず史料から読み取れる情報の取捨選択や関連史料の収集を行います。そしてその取捨選択の仕方、情報整理の手際は千差万別です。  たとえばこのツイートはUS National Archives(米国国立公文書記録管理局)のTwitterアカウントによるものですが、ここに掲げられている同局所蔵文書(参照:https://catalog.archives.gov/id/6883722)について、その背景も含めて800字で解説してください、と複数の人に依頼したとして、果たして全員の解説文が細部に至るまで似通うことなどあり得るでしょうか?  まず、書かれた文字を解読するリテラシーや幕末政治外交史の予備知識がない方はそもそも800字も書くことができないでしょう。また仮にこの文書が「徳川家茂が署名した安政七年の日米修好通商条約の批准書」であることが解ったとしても、いま「 」で括った所の文字数はたった26文字ですから、残りの774文字に何を書くのかは、やはり千差万別となり、説明の文言や話題の推移や順序、表現の仕方などまで一致することなど決してないはずです。  おそらく百田氏も含め上記のような意見を寄せられた方々は、中学高校でのテストの穴埋め問題のようなイメージで、歴史というのは単に出来事の起きた年や固有名詞だけで構成されていると認識しているのでしょう。しかし、実際の歴史叙述というのは、安易な断定を拒む歴史上のさまざまな事象を、なるべく広範囲の史料に目を配りながら、どうにかこうにかひとつの流れの中に落とし込むという、じつに労多くして功少ない仕事なのです。 「X年にYが起きた」という一文の裏側にも、実はそうした学問上の蓄積や議論があることに少しは思いを致していただきたいものです。
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