菅田地区菅田から逆磐橋(さかなげばし)を肱川右岸に渡ると大洲市本村水源地がありますが、これも浸水して現在も機能を失っています。後方の土饅頭が示すように、この肱川右岸一帯も住宅地が広がるにもかかわらず近代的な堤防が存在しない無堤地帯です。
逆磐橋を渡った肱川右岸にある大洲市本村水源地。浸水して機能を失っている。後方の土饅頭が示すように、この肱川右岸一帯も住宅地が広がるにもかかわらず近代的な堤防が存在しない。無堤地区とみなしてよい。 2018/10/20撮影
取材中、鹿野川ダム下流の下石丸地区から菅田地区までの約19kmに及ぶ河川流域全域において、両岸が3~6mの甚大な洪水被害を受けており、治水が貧弱であることがずっと気になってきていましたが、菅田地区の無治水状態を見て肱川の過去60年間における治水事業の異常性が顕になりました。
度重なる中規模氾濫のために地元との同意の上で鹿野川ダムと野村ダムが、中規模洪水に対応した操作手順となり、大規模洪水への対応が限定的となっていることは広く報じられているとおりです。過去60年間、鹿野川ダム下流域の少なくとも20km近い区間で治水事業をまともに行ってきていない以上、ダムの治水機能は十分には発揮できません。
極端なダム偏重治水事業の結果としてダム下流域の無治水状態が60年経っても解消されず、結果として本来ダムが担当すべき大規模洪水への対応を放棄したところに起きたのが平成30年7月7日水害すなわち肱川大水害と言えます。
運悪く堤防完成が間に合わなかったのではなく、
ダム建設のための治水事業という本末転倒によって菅田地区堤防完成が平成45年予定だったという行政の倒錯と著しい怠慢が原因と言って良いです。(参照:
おおず市議会だより 2015年2月)
しかも、平成23年9月水害だけでなく、過去に多数回、堤防治水などの不備による中規模氾濫が鹿野川ダム完成後に起きており、
堤防、水門、排水施設の整備が火急の課題であることはわかりきっていたことです。
にもかかわらず
堤防、水門、排水施設の整備を怠り、治水のためのダム建設でなく、ダム建設のための治水と断じてよいほどの本末転倒なダム偏重治水行政を行っていたことについて、
国土交通省、愛媛県の責任は極めて重大というほかありません。また、そのようなきわめて異常な肱川独特の治水事業にお墨付きを与えてきた「
有識者」「
学識者」の存在にも注目すべきでしょう。
次回は大洲市大洲地区です。
『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』第3シリーズ水害編-5
<取材・文・撮影/牧田寛 Twitter ID:
@BB45_Colorado>
まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガを近日配信開始予定