NHKのノーベル賞特設サイト、「まるわかりノーベル賞2018」より。この女性キャラクターがキズナアイさん
先月、シュナムルさんという方が、Twitterでライトノベルの表紙に描かれた「萌え絵」に不快感を示す主張を繰り広げて「炎上」した。(参照:
「気持ち悪い……」社会にあふれる二次元キャラの性的表現、「最適解」はどこにある?<北条かや>–HBO)
以来、ここ1ヶ月ほどTwitterをチェックしているが、先日はNHKのサイトで「バーチャルYouTuber」の「キズナアイ」が採用された件が批判され、議論は多くの論者を巻き込んでさながら戦争のようになっている。
「
萌えイラストは性差別だ」と主張するフェミニズムやフェミニズムに近い考え方をする人たちと、「イラストは性差別ではないし、オタクコンテンツを排除しようとするフェミは
表現の自由に反している」と反発するオタク、またオタクを擁護する人たちとの溝は深まるばかりだ。
当コラムでは先月、「
表現規制を支持するつもりはない」と前置きした上で、次のように述べた。
“(略)私は一部の性的表現から「強姦」のイメージを感じ取ってしまうが、それが一面的な想像であることも自覚している。願わくば、そのイメージの貧困さを、消費する側の人たちから納得のいく説明として聞きたい。
議論がしたい。あなたたちは何を欲望しているのか、いないのか。私のイメージが貧困であるとすればなぜなのか。表現の自由を許容しない「誰か」を、一方的に責めるだけでは前に進まない。個々人が自分の言葉で、それぞれにとっての「自由」を定義しあう社会を、私は待ち望む。”(参照:
「気持ち悪い……」社会にあふれる二次元キャラの性的表現、「最適解」はどこにある?<北条かや>–HBO))
やや抽象的な言い方になってしまったが、噛み砕くとこうだ。
私は巷にあふれる萌えコンテンツを、規制しろとは思っていない。生身の女性を出演させるAVと違って、イラストは具体的な他者を傷つけている可能性があるとまではいえないからだ。
しかし、ある種のアニメ風タッチで描かれた女性像を見ると、嫌悪を感じるのも事実である。この感覚は昔、男性に無理やりアダルトビデオを見せられたときの感じとよく似ている。
男性が理想とするような女性像があふれ、社会からの押し付けに感じられて自己を侵食してくる。
私にとっては抑圧的に感じられるのだ。
しつこいほどに主張したいが、萌えイラストの類は規制できないし、する必要もない。しかしそういうコンテンツを好む男女と議論することで、私自身の萌え絵に対する印象は変わるのではないかと考えた。