―― 翁長氏は沖縄の置かれた状況を打開するため、保守と革新が協力する「オール沖縄」を追求していました。これはこれまで誰もなしえなかった画期的な試みです。なぜ翁長氏にはこのような取り組みができたのでしょうか。
『戦う民意』
白井:それは難しい問題ですが、翁長氏の著書『戦う民意』(KADOKAWA)には大変印象的な場面が描かれています。
翁長氏は政治家一家に育ちますが、子供のころから隣近所や親戚が米軍基地をめぐり、「基地なしで生活ができるのか」(保守派)、「カネで魂を売るのか」(革新派)とののしり合い、憎しみ合う姿を見てきたといいます。
この対立は非常にお互いを傷つけるものだったと思います。お互いの言い分にはそれぞれ一理あるからです。戦後の沖縄には基地経済に頼って生活を送らざるをえなかった時期がありましたし、同時にその基地が沖縄の人々を危険にさらしてきたわけです。
翁長氏は早くからこうした対立に違和感を持っていたのだと思います。そして、いわゆる
本土が、沖縄人同士がいがみ合う様を高みの見物で笑っていることに気づいたわけです。だから、この構造を壊さなければならないという決意で、
オール沖縄を結成したのだと思います。
―― 翁長氏は『戦う民意』の中で、2013年に銀座でオスプレイ撤回のデモを行ったとき、ネット右翼からヘイトスピーチを浴びせられた経験について記しています。翁長氏はヘイトを受けたことに加え、道行く人たちがヘイトに何の関心も示さなかったことがショックだったと書いています。日本の中には間違いなく沖縄差別が存在します。
白井:在日コリアンに対する差別は広く知られているのに対して、沖縄に対する差別は無意識化されていると言えると思います。しかし、戦後の国体の矛盾を全て沖縄に押しつけておきながら平気でいられるのは、間違いなく沖縄差別があるからです。
―― 沖縄差別はネット右翼だけでなく、日本全体の問題です。かつて朝日新聞が那覇市長時代の翁長氏に「県議時代には辺野古移設推進の旗を振っていましたよね」と質問したところ、翁長氏が「苦渋の選択というのがあんた方にはわからないんだよ」と応じるということがありました。この朝日の記者の中にも沖縄差別が見え隠れします。
白井:まさにその通りだと思います。辺野古移設を拒むという決断も、受け入れるという決断も、どちらも不安と苦悩に満ちたものにほかならないわけです。そのことを理解していないから、立場の変更を変節だなどと言ってしまう。そもそも沖縄に苦渋の決断を強いてきたのは誰かということです。本土の人間は意識していようがいまいが、沖縄を抑圧する構造、すなわち「戦後の国体」の護持に加担しています。その自覚がないから、そのような質問をしてしまうのでしょう。本土の人々に翁長氏を変節だと批判する資格はありません。
同じことは、これから行なわれる県知事選挙の結果についても言えることです。仮に、翁長県政を否定する選挙結果が出たときに、本土でオール沖縄に期待していた人々が何を思い、何を言うかが問題です。東京の政府は、一括交付金の削減など兵糧攻めまでやっているのであり、そしてその政府の政策を事実上支持しているのは、本土の人間なのだということを、一瞬たりとも忘れてはならないと思います。