写真/時事通信社
ただ冷静に、沖縄を「日本の都道府県の一つ」として見ることからわかること
沖縄について語ることの難しさを
前回書いておきながらなんだが、今週も引き続き沖縄について考えてみたい。
本欄で沖縄に言及するのはこれが初めてではない。高江のヘリパッド建設をめぐり、大阪府警の機動隊員が反対する住民に対し「土人」と暴言を吐いたあの事件が発生した時にも沖縄に触れた。
この発言が差別性を帯びるのは機動隊員が発した言葉が「土人」という差別用語を含んでいるからではない。この発言が差別に直結するのは「大阪府警の、つまり沖縄の外からやってきた人間が、しかも国家権力の意図を行使する人間が、沖縄現地の人間を、土人=未開の人間=日本人とは異なると規定した」という構造を有しているからにほかならない。
土人発言が差別であるのはわかりやすい。だが、これと全く逆の差別も存在し得る。私のような沖縄の外の人間が、過剰に沖縄の人を美化し、おじーだのおばーだの、知ったような口を利き、沖縄の人や文化や生活をなにか特別なものかのように持ち上げるときだ。
これらの行為は確かに沖縄を美化しているのだろう。その点で決して「失礼」とはいえない。しかしその格別の持ち上げ方は、「異化」にほかならず、構造としては前出の大阪府警機動隊員が依拠した差別の構造となんら変わらない。
翁長氏はかつてこんな発言をしたことがある。