一方で若い女だったから、ある種のおかしな「ロリコン男」を引き寄せてしまったし、性的被害に遭っても「当たり前だ」とバカにされた。褒められても褒められても、消費される気持ち悪さから逃れることはできない。
既得権益であることを自覚してしまったからこその居心地悪さで、若い女でいるメリットを存分に享受できなかった。そんな状態なので、「メリットを自覚しない女」に嫉妬を覚え、「どうして私と同じように叫んでくれないのだ! 若い女であることの価値を否定しないのだ!」と、ルサンチマンを募らせた。
挙句の果てには、性的に見られたくないからと拒食症になって体を壊した。若い女であることに自覚的、かつ批判的であることは仕事の幅を増やしたが、個人的な幸福には結びつかなかったのだ。
彼女たちは自己と他者のまなざしが交差する中を、羨望と嫉妬が一体になった視線の中を生きる。その現実が昏いと気づいてしまった女は、皆が思うほど幸せではない。
メリットはデメリットで相殺され、ゼロになる。若い女は自分がゼロ地点にいることに気が付かない。そうして若い女は、次第に若さを漸減させていく。私は30代になった。
今、私は「若い女」でなくなって良かったと思う。「若いからこその自己否定的な叫び」で周囲をざわつかせることはもうないが、若い女ではなくなったからこそ言えること、挑戦できることが少しずつ増えていくのを実感している。
若い女でなくなると、自分がどんどんはっきりしてきて、あの頃よりも冷静に「実力」とかいう曖昧なものにようやく挑戦できる。「若さ」という靄が取り払われ、より自分の本質を追求できるようになった。
だから、自分から若さが消えていく過程が、今はけっこう楽しい。若い女を持ち上げる社会は好きでもなんでもないが、そういう社会で生きていくために必要な装備を、1つ1つ身につけていく作業もなかなかスリリングだ。
それに、30代になってようやく女らしい格好を本気で楽しめるようになってきたのも大きい。周りの羨望と憎しみに溢れたまなざしが消えた分、自分「だけ」が思う美しさや若々しさ(若さではない)を手に入れることにも、以前より前向きになった。
30歳の頃より31歳の今、そして32歳になることに、絶望は感じない。若さを漸減させていく悦びというものが、確かに存在するのだなぁと実感しているのだ。自分がそうだからと押し付けるつもりはないが、件のコラムを書いたはましゃかさんが30代になった折にはきっと、もっと沢山の素敵な言葉を身に着けていると思う。
1人の「元・若い女」が、はましゃかさんという「現役の若い女」を何となく応援しているだけの生ぬるい図だと思われるかもしれない。この単純な表現で全員に理解してもらおうとは思わないが、私はそういう生ぬるい女でありたい。
<文:北条かや>
【北条かや】石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『
キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。著書は『
整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『
本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『
こじらせ女子の日常』(宝島社)。最新刊は『
インターネットで死ぬということ』(イースト・プレス)。
公式ブログは「
コスプレで女やってますけど」