アテネ五輪から10年後に撮影された、2014年のオリンピック村の様子。廃墟である。 (Photo by Milos Bicanski/Getty Images)
東京オリンピックに纏わる話題は、今の日本が抱える問題を如実に表しているように思える。
一部企業の利益になる一方で、どんどん膨らむ費用への負担や、無償でさまざまな仕事をやらされるボランティアなど国民にはさまざまな負担ばかり押し付けられている。
出てくるニュースも、なんだか戦前の学徒動員を思わせる学生への無償ボランティアの呼びかけだったり、金属類回収令を思わせるメダル用の銀が不足していると世間に呼びかけているなんて話ばかりだ。
それにしても、そんなしみったれた話題がしこたま出てくるにもかかわらず、どのメディアもオリンピックの後のことをあまり考えていないかのように見えるのが不思議だ。
オリンピックの後は、投資した建造物やインフラがすべて活かされてバラ色の未来になると本気で思っているのだろうか?
果たして、オリンピック後はいったいどうなるのだろうか?
かつて1964年、高度成長期の真っ只中に行われた東京オリンピック後の場合は、「昭和40年不況」と呼ばれる不景気が訪れている。
1960年代の日本といえば、いわゆる「朝鮮特需」を受けた神武景気、さらに設備投資と技術革新によって急成長した岩戸景気という昭和史に残る好景気のあと、短期間の不景気を挟んだもののオリンピックに向けてのインフラ整備などもあり、さまざまな業界が急成長を遂げていた。当時使われていた指標のGNPでその成長率の推移を見てみると、いかにすさまじい成長だったのかよくわかる。
1960年 13.1%
1961年 11.9%
1962年 8.6%
1963年 8.8%
1964年 11.2%
(
内閣府より)
これがなんと、1965年には5.7%になっているのだ(それでも現代と比べればいいほうだが)。その理由の一つが「東京オリンピック」だった。
東京オリンピック開催に向けた大規模投資や消費が消失した結果、日本の経済は急速に失速することになったのだ。
これによって引き起こされたのが、証券不況だ。’64年には山一證券が赤字となり、取り付け騒ぎが起きるまでになった。続いて、倒産する企業が続出した。サンウェーブや日本特殊鋼、山陽特殊製鋼などの倒産である。
この事態を受けて、日本政府は山一證券に対する日銀特融の決定や、戦後初の「特例国債」発行などで緊急対応した。これが功を奏したのと、貿易や資本の自由化が進み、国際競争力が伸びてきたことも相まって、幸い不況は1年程度で収束するに至った。
短期間で収束したことや、70年には大阪万博などがあったこともあり、日本人には「輝かしい」昭和の記憶しかないのかもしれないが、このときの赤字国債は、その後発行が常態化し、現在に至るまで日本の財政赤字に大きな影を落としているのだ。