ジェノバの高架橋崩落、地元民の間では建設当時から囁かれていた「危険性」
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実は、イタリアでは最近5年間に10か所の高架橋が崩落していたという事実はこれまで明るみにされていなかった。更に、恐ろしいのは、1万基の橋が既に規定の耐用年数を越えているというのである。その多くの橋が50年代から60年代に建設されたものだという。その当時使用された建設材料や工法は執拗に充分なる点検が必要とされている。その為にはかなりの資金も必要で点検が十分にされていないというのも事実のようである。(参照:「El Pais」)
今回の惨事はこの危険に晒されていた現状が具体的に表れた最大規模の出来事である。
この事件の高架橋はジェノバの二つの幹線道路の一つに架けられた橋であった。60年代の成長していたイタリアを象徴する橋でもあった。この建設に当たった技術士リカルド・モランディーの名前を取って「モランディー橋」と呼ばれていた。当時の建設作品としては画期的なものであった。
しかし、そこに住む住民の中には建設の当初からこの橋に不安を抱く住民もいたという。
そのひとりジョルダーノ・リアンピー氏は「私はこの地で育った。誰もがこの高架橋は危険だから通らないように助言していた」と「El Pais」紙の取材に答えて語っている。
また、マリエラ氏は「あのように作ったのも最大限に費用を抑える為だった」と言って不満を表面。イラリア氏は「私は市街を遠回りしてでもそこを通らないようにしていたんだ」と残念がって呟いたという。
そして、近隣住民のもうひとりであるアウメッド氏は「今日落ちなければ、半年先か1年先か2年先には……」と語り、いずれ崩落する運命にある橋だと指摘したいようだったという。
タクシー運転手のルイジ・ガタレチ氏によれば「9月に入ると、市内の交通機関は(正常に戻り)さばき切れない状態になる。ジェノバの多くの市民が一日に何度もモランディ橋を通過するからだ」と語っている。8月はバケーションの時期で、企業は営業が半減したり、メーカーは休みに入ったりして市民もバケーションに出かけて市内での車での移動も少なくなっている。バケーションが終わって9月に崩落していれば、今回の惨事の規模もさらにより大きくなっていたはずである。
崩落した橋桁のほんの僅か手前で急ブレーキをかけて落下することから回避できたスーパーマーケットの配送トラックのモロッコ出身の運転手イドゥリス氏は、精神的ショックから回復できない状態の中、次のように取材で語ったという。
「かなりの雨で速く行くことが出来なかった。1台の車が私の横を通過した時、スピードを落として車間距離を置くようにした。何故なら、この雨で前方も良く見えずブレーキを踏んでも(上手く機能するのは)不可能だったからだ」
そう語った彼のトラックを追い越した車は、雲の中に包み込まれたように彼の車の前から忽然と消えたという。その時、上を見るとタワーが落ちるのを目撃したそうだ。(参照:「El Pais」)
事態はまだ収束したわけではない。まだ姿が残っている高架橋のタワーが倒壊する恐れがあるとして、その近辺の300世帯、632人の住民が避難しているという。消防隊員に案内されて最大15分で自宅を訪問して身の回りの必要なものを持ち出すことができたそうだ。しかし、もう再び自宅で生活することは不可能で手放さざるを得ない運命にあるのは彼らは承知しているようである。(参照:「El Pais」)
8月15日、イタリア・ジェノバで高架橋が崩落するという事故が起きたことは日本でも報じられたのでご存知の方も多いだろう。
今も24時間体制で救出作業が行われているものの、本稿執筆時の8月19 日までの間に43 人の死亡が確認されている。(参照:「頻発していたイタリアの高架橋崩落事故
さらに犠牲者が増えていた可能性も
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