本稿の冒頭でMC正社員は「テーマやストーリーを用意する」と話していたが、「この大会ではアイツが優勝しそうだ」ということは自身でも毎回考えているという。
「ただ、『戦極MCBATTLE 第15章 Japan Tour FINAL』あたりからは展開が読めないことが増えてきましたね。そのとき優勝したのは
GADORO。15章には
DOTAMAや
崇勲、
KEN THE 390、
MC漢も出ていたし、
輪入道も
MOL53も
pekoも
Lick-Gもいた。
“主人公候補”がたくさんいた大会だったんですよ」
錚々たるMCが集った大会だったわけだが、「会場の雰囲気を見ていると、1回戦から観客がGADOROを主人公にしたがっている雰囲気が伝わってきた」とのこと。
「今のGADOROは日本のHIPHOPシーンで高く評価されているラッパーですが、俺が最初に知ったのは’13年の頃で。当時の彼は”チプルソのパクリ“みたいに言われていたんですよ。結構、ネットでも叩かれて。UMBの宮崎予選でMOL53と対決したときは、何も言えずに負けたこともありました。その翌年に出たUMBの本戦で、GADOROに付けられたキャッチコピーは“一人小宇宙”。チプルソのアルバム『一人宇宙』のもじりで、それもネットでネタにされていました」
MC正社員は、そういった背景を見ているからこそ「いつの間にか彼が人気者になっているのに気づかなかった」という。
「でもGADOROはそんな状態から這い上がっていった。徐々に人気も実力も上がっていたし、俺が知らないうちに、MCBATTLEがGADOROという人間を育てていたのかもしれないです。それで15章では、観客はGADOROを主役に選び、ライバル役にMOL53が選んだ。みんなが2人の宿命の対決を見たがっていたんですよ。実際にGADOROは決勝でMOL53と対戦し、彼を破って優勝しました」
いかにイベントをプロデュースするためのストーリーを考えようと、
現場で生まれるドラマを超えることはできないのだ。なお『戦極MCBATTLE』をはじめとした多くのMCバトルは、バトル終了時の歓声の大きさで勝敗を決めている。そのため「今回は絶対にこのラッパーに勝ってほしい」「決勝ではこの2人の対決を見たい」といった観客の心情も反映されやすく、ドラマチックな展開も生まれやすいのだろう。
「俺も昔はストーリーを作ろうとはしてたんですけど、MCバトルは毎回それを裏切るというか、弄ぶ。『コイツを優勝させたいな』と思っているMCがいるときも、MCバトルの神はそれを許してくれないんですよ。だからストーリーは自分なりに考えつつも、始まったら成り行きに任せる。現場での自分の仕事は、出場しているMCが緊張感を保てる環境を作ったり、彼らのパワーを引き出したりすることだと思っています」
下準備をすることは大切だが、“先入観”に捕らわれすぎてもいけないのだ。即興でラップを生み出すMCたちに、それを見守るオーディエンス……。フリースタイルのMCバトルのように不確定な要素の多いエンターテイメントでは、なおさらその点が重要なのかもしれない。
<構成/古澤誠一郎>
【MC正社員】
戦極MCBATTLE主催。自らもラッパーとしてバトルに参戦していたが、運営を中心に活動するようになり、現在のフリースタイルブームの土台を築く