この『PACHINKO』という物語は、1910年(「日韓併合」の年)から1989年に至るまで、或る家族の4世代に渡る物語である。
韓国の釜山のそばにあるヨンドという島にフンイとヤンジンという夫婦が旅館を営んでいた。二人の娘のスンジャは、その旅館でキリスト教の牧師イサク(朝鮮人)と出会い結婚をする。そして大阪に住むイサクの兄-ヨセフ(朝鮮人)を頼って渡日する。その後、鶴橋の焼肉屋でキムチ作りに励みながら、ノアとモーゼスの二人の息子を生む。
終戦後、ノアは勉学に励み早稲田大学に進学するが、隠されていた自分の出自を知り失踪。弟のモーゼスは暴力事件で高校を退学した後、地元のパチンコ店で働き始める。
そして現代。パチンコ企業の大社長となったモーゼスには、ソロモンという息子がいた。ソロモンは外資系の銀行に勤めるが、退職の憂き目にあい、結局はモーゼスのもとで働き始める。
ざっと説明すればこんな感じだ。
タイトルこそ『PACHINKO』であり、物語の3世代目と4世代目にあたるモーゼスとソロモンはパチンコ企業を経営しているが、「パチンコ」が物語の大きなファクターになっている訳ではない。あくまで、歴史のうねりの中で必死に生きた家族の物語なのだ。
作者のイ・ミンジンは、「在日」が経験した、「移民」としての苦難を描こうとしている。小説には、家族の周辺の物語として、従軍慰安婦の事や徴用のこと、長崎の原爆のことや、戦後の生々しい朝鮮人差別の事なども描かれており、その一部においては、多くの異論や疑義が呈されるかも知れない。
一方で、本書を読んだ(韓国語で翻訳出版されている)在日韓国人である年配のパチンコ業界関係者によれば、本書からは作者の綿密な取材がうかがい知れるとしながら、在日韓国人・朝鮮人の歴史をよく描いているとの意見も聞かれた。
近年、在日韓国人・朝鮮人社会を描いた作品は少なくない。
井筒和幸監督の「パッチギ!」、「パッチギ!LOVE&PEACE」や、鄭義信監督の「焼肉ドラゴン」(元は演劇作品)、崔洋一監督がメガホンを取り、北野武が主演した「血と骨」などが有名であるが、その他にも、金城一紀の「GO」や、崔洋一監督の「月はどっちに出ている」、テレビドラマ「実録犯罪史 金(キム)の戦争」など、描き方に違いはあれど、在日韓国人・朝鮮人の生活をドラマの中心に据えた物語は多い。
なぜなら、やはりそこにドラマツルギー(※初音ミクの楽曲ではない)があるからだ。
ドラマツルギーとは、物語作品における相互作用の事であり、端的に言えば「葛藤」という言葉にも置き換えられる。在日韓国人・朝鮮人の歴史や生活には、物語には不可欠なこの「葛藤」が、「差別」という明確な形としてあるのだ。そしてそれは、物語の普遍的なメッセージとなり得る。
イ・ミンジンが小説で描こうとしたものは、マイノリティに対する社会的な非寛容、そしてそれに対する市井の人たちの抵抗である。
これは、在日韓国人・朝鮮人の生活に限ったことではない。
作者自身が経験している移民としての苦難も然り、昨今メディアを騒がせたLGBTに対する国会議員の妄言も然り、ひいては沖縄の問題然り、そこに形ないまま実存する「差別意識」という得体の知れない怪物に対峙する市井の人の毅然とした姿こそが、小説『PACHINKO』の、何よりもの魅力である。
<文・安達 夕
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