ベネズエラのウゴ・チャベスは発表された死亡日の2か月前には死亡していた!? 南米系メディアで持ち上がる疑惑
Punto de Corte』に、コロンビアのジャーナリストであるセバスティアナ・バラエスによるベネズエラからコロンビアに亡命したルイサ・オルテガ検事総長へのインタビューが掲載されたことに端を発する。
ルイサ・オルテガは、そのインタビューの中で、「チャベスが亡くなったのは2012年12月28日で、政府が発表した2013年3月5日ではない」と発言したのである。
このインタビューの記事が同紙で掲載された途端、同紙へのアクセスネットが妨害されるという事態が発生したという。(参照:「El Nacional」)
このニュースはスペイン語メディアを中心にアメリカ大陸をまたたく間に駆け巡った。
7月24日付の米マイアミをベースにした電子紙『el Nuevo Herald』は「マドゥロが権力を掌握するのにチャベスの死を数週間隠した?」というタイトルでその背後の関係を分析している。
ルイサ・オルテガが、チャベスがもっとも信頼していた軍人であり当時の国民議会議長であるディオスダド・カベーリョからチャベスの訃報を聞き、至急帰国するように要請を受けた2012年12月28日、その日彼女はパリに滞在していたという。
オルテガは、カラカスに直ぐに戻るべく航空券の変更の手配を開始した。ところが、それから4時間が経過してカベーリョからまた電話があり、「チャベスはまだ生きながらえている」と伝えて来たというのである。
同日にチャベスの死が伝えられたのは、オルテガ以外にもうひとりいた。当時、軍部の最高司令官で現国防相のパドゥリーノ・ロペスだ。当時、内務相ロドリゲス・トッレスが彼に電話でチャベスの死を伝えた。この時も、最初の死亡通知電話から1時間後に2回目の電話が入り、チャベスが息を取り戻したと伝えられたというのだ。
しかし、専門家の間では両者に掛けて来た2回目の電話の内容は疑わしいとしている。オルテガには4時間後、ロペスには1時間後にチャベスがまだ存命中だと伝えて来たと言うのであるが、医学的に見て一旦死亡した人物が息を取り戻すのは瞬間の出来事であって、数時間あとではないという見解からである。(参照:『el Nuevo Herald』)
2013年3月5日、南米における「反米路線」の象徴的存在だったウゴ・チャベス第53代大統領が亡くなった。
しかし、ここに来て、ベネズエラのチャベス前大統領の死亡した日を偽っていたという疑惑が南米系メディアを席巻している。単に死亡日を偽っていたというのであれば、それ程の重要度は持たない。ところが、チャベスの死亡を2か月も遅らせて発表したというのだから穏やかではない。背後には後継者争いが起きていたということを想像させるからである。
この疑惑が浮上したのは、7月中旬に電子紙『
チャベスは2012年末に死んでいた!?
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