東京1世の核家族と東京2世の核家族でも子育て難易度が違う
筆者の場合も親が離婚してしまい、母親はすでに東京から離れてしまった。父親はまだ働いており、平日に急に何かを頼めるような状況でもない。親が離婚してしまったので、実は東京にあった実家はすでに売却されて存在しないので東京のふるさともなくなった(おまけに父方は移住して全然縁もゆかりもない宮崎に住んでいる)。
子供が大人になったら自由になれる、と思うかもしれないが、実はその影で孫を育てている大人になった子供たちが頼れずに困っているのだ。
休日になっても、子供を置いて買い物に出かけることもできない。親のどちらかが必ず子供を見る生活になり、夫婦だけで出かけるにはどうにかお金を払って誰かに子供の世話をしてもらうしかないのだ。
地方から東京に出たばかりの東京1世も親戚をすぐ頼れないという点は東京2世と一緒だ。だが、地方に残る親戚たちとのつながりの深さについては、東京2世になった途端に小さくなってしまう。
結婚前からすでに2人以上の子育ては無理だと悟っている
人口の多い東京でこのような状況なので少子化が加速するのは当然だ。家庭を持っても子供は一人までで諦めるし、そもそも家庭を持つだけ損だと考える人が多いのも仕方ない。最初から親戚が頼れない確率がグンと上がってる環境で育っているのだから諦めて悟る人は多い。
もうすでに絶望的な少子化となっている日本。抜本的な少子化対策をしてもらわないと、誰も高齢者を支えられないし、子供も支えられないし、経済も支えられないのだが、こういった実態はなかなか表にならないのが現状だ。
政府は介護などの社会保障を縮小し、「家族で支え合う」ことを目指しているが、果たしてこうした事情は理解しているのだろうか。
ギリギリの線で踏ん張っている子育て世帯は声をあげない。なぜならば、子供のために「どんなに苦しくても耐えてもがいて諦めることができない」からだ。現状なんとかなっているからと、ケアが不要だと思われるのであればこれほど辛いことはない……徳俵で踏ん張っているだけなのだ。
<取材・文/佐藤永記>