そして本稿で特に注目したいのが、堀潤氏の関わり方だ。前述の通り、堀氏自身や三女の言い分は、メディア陰謀論と拘置所陰謀論である。記事では、妻や三女らが四女より先に麻原の遺体に面会したとして、三女のこんなコメントを紹介している。
〈執行前に父が四女を指名していたのなら、なぜ私たちが先に呼ばれたのでしょうか。遺体の引き渡し人は本当はまだ決まっていなかったのではないでしょうか〉
確かに、妻や三女らが遺体と面会したのは7月7日午前。四女はその日の午後だ。しかし面会のタイミングが前か後かは、遺体引受人が誰であるかとは関係がない。しかし堀氏は三女の言い分を無批判に、検証もせず、拘置所陰謀論の傍証であるかのように記事にしている。三女の、間接的には妻やほかの子供たちを含めた陣営のスポークスマン役を果たしているのだ。
議論の内容が間違っているだけなら、互いに議論を戦わせたり、それぞれが正しいと考える情報を発信したりすればよい。しかしジャーナリストを名乗る者自身が、事実と異なる方向に人々をミスリードしようとする利害当事者の代弁者になり、それをさも客観的な報道であるかのように発信し始めると、もはや議論の内容の問題というレベルではなくなる。何を語るか以前に堀氏の立場性そのものがおかしい。
堀氏は同記事を、〈報道各社が当局のリークを垂れ流し、真相究明への使命感を失っているのであれば、それはジャーナリズムの自死だ〉という言葉で結んでいる。しかしその堀氏自身が、三女のスポークスマンとして〈ジャーナリズムの自死〉を実践している。それがさも〈ジャーナリズムの自死〉ではないかのように装いながら。
本来、ある議論に関わる人々を陣営として捉え評価することは非常に危うい行為だ。その立場性をもとに対象を評価し、実際の主張の内容の是非や事実関係を軽視しがちになるからだ。事件の真相に限って言うなら、麻原判決や青沼氏の『オウム裁判傍笑記』(小学館)、本稿で紹介した各氏のブログや記事を読めば、誰の言い分が正しいかはおおむね判断がつく。立場性など云々する必要などない、客観的事実をめぐる問題だ。
しかし、実態を偽って三女との関係を隠そうとする「真相究明の会」や森達也氏、そして妻や三女のスポークスマンに成り下がった堀潤氏を見るに、そこには客観的事実とはまた別の問題があることを意識せざるを得ない。客観的であるかのように装って人々を惑わそうとする、もはや報道や言論に関わるべきではないとさえ言える、極めて有害な不誠実さが、そこにある。
残念なことに、森氏や堀氏の立ち回りは、もはや議論の内容を云々するだけでは済まなくなる方向で、一線を越えてしまっている。オウム事件をめぐる彼らの「歴史修正」の内容だけではなく、どのような利害関係によって「歴史修正」が起ころうとしているのか。しっかり目を光らせていくべきだろう。
<取材・文・撮影/藤倉善郎(
やや日刊カルト新聞総裁)・Twitter ID:
@daily_cult ※ロック中>
ふじくらよしろう●1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『
「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)