「より働かない」が次の時代の要請。「働き方改革」はそれに逆行する、経済界のための「働かせ方改革」

髙坂勝
就職したくない、なるべく働きたくない若者

就職したくない、なるべく働きたくない若者は、田んぼで何を見据えているか(写真/倉田爽)

テクノロジーは進化したが、仕事は減らず、しかも貧しい

「仕事も頑張るがプライベートも大切にしたい」「頑張りすぎてうつになった」「休職している」「あまり働きたくない」「就職しないで生きたい」

 そんな経済成長に寄与しそうもない老若男女が、「企業戦士たれ!」という同調圧力にあがく中で、羽を休め、毛繕いに来る場。そんな心の止まり木が、俺の営んでいたオーガニック・バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」だった。

 企業戦士と言う仮面を被った面々は、世間体や常識という空を舞おうにも、利益のために人を騙すような汚い命令や乱暴な目標(ノルマ!?)に、羽は薄汚れ、乱れ、乾いていた。傷ついた鳥たちは、このバーで体調が潤う酒に羽を浸し、都会という荒野が広がる空には戻らずに、ローカルという新しい希望の空へ飛び立っていった。

 かつて貧しい時代に洗濯機や掃除機が普及した頃、人はこう言っただろう。「なんでも便利になって、近い将来、人は働かなくても生きられる時代になるね」。今では、便座も自動で開いてくれて、お尻のウンコも洗ってくれて、家で座ったままスマホを指1分滑らせれば買い物ができてモノが届き、声をかけると「行ってらっしゃい、気をつけて」と電車の遅延まで教えてくれるAIちゃんがいる。

 だけど「働かなくても生きられる」時代は来ていない。むしろ皮肉なことに、たいていの仕事は減らず、増えるばかり。どうしたわけか、忙しいうえにやっぱり貧しい。

 あえて言えば、ニートちゃんや引きこもりちゃんや休職ちゃんこそ、今の時代を謳歌しているのではないかと言えるが、それを肯定しようものなら多くの批判が届くことも想像できる。たいていは、あまり働かなくても生きられる時代になったのにそれをしない。すればするで、肩身がせまい。

「もっと働かねばならない」という同調圧力

バーに置いていた本たち

価値観を変えるキッカケにしてもらおうと、バーに置いておいた本たち

 なぜだろうか!? 「もっと働かねばならない」という世間の同調圧力に屈しているからかもしれない。圧力に屈せず、「適度に便利」=「適度に働く」という落とし所を自分なりの価値で決めて実行できればいい。働き過ぎないようにする勇気。いい仕事をするためにも、仕事をしない時間が大切だ。

 そういう俺も、かつてサラリーマンだった頃はそんな価値観を持てるはずもなく、成果主義の会社で目標を達成できない苦しみや葛藤でもがき、それでもなんとか会社にしがみついていこうとあがいていた。

 しかし、精神的限界を感じて会社を辞め、もう「必要以上は稼がない」と決めた。「稼がない」というビジネス論を時代に先駆けてクリエイトすべく、「週休3日」「昼は営業せず」などを実践してきた俺のバーに、働き過ぎを強要されたくない人々が訪ねてきたわけである。

 さて、世の中を少しだけ騒がした「働き方法案」、そして「高度プロフェッショナル制度」。法案が通り、導入が決まった。一見、「あまり働かなくていい」時代に即した法案に聞こえるが、どうもその言葉に騙されてしまいそうだ。残業がなくなる! と思いきや、えっ、ちがうの!? 残業“代”がなくなるって!!!

 働く時間が減るのでなく、残業代が減るうえに、もっと働かねばならない可能性が増えるって!?

 ずっとずっと前から恐れていたことだ。これで経営者は、残業代や休日出勤の日当を支払わなくて良くなる。働く人の給料を減らしながら、たくさん「働かせる」ことができるようになった。人件費が減って利益が増えるわけだから、投資家も喜ぶ。

 あなたに聞きたい。タイムカードがない中、会社が要求する成果を出して、早く帰れる? ほとんどは無理だ。目標をクリアできなければ、真面目でいい人ほど、成果が得られるようにと頑張ってしまい、長時間労働や休日出勤が増えることは目に見えている。結果として、うつ、健康喪失、自殺も増える。

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「働き方改革」は、「働かせ改革」

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