その後、この疑惑が取りざたされた時、韓国と日本の政府、そして金鐘泌までもこの「竹島密約」の存在を否定したのだ。
だが密約の核心人物の一人である金鐘洛が、2010年8月1日NHKのインタビューで「(密約は)私が瞬間的に提案したものだ」と告白した。
続けて「関連文書や証拠はないのか」という質問には「全て焼いてしまった」と明かし、証拠はないが密約の存在自体は明らかになった。
6月23日、金鐘泌元国務総理が死去したことによって、「三金時代」の主役たちが皆、歴史の中へと消えていった。
三金の中で、金鐘泌の一番の特徴は朴正煕元大統領との関係だ。金鐘泌は朴正煕元大統領の姪の夫で、朴正煕―朴槿恵親子とかなり縁が深い。
金鐘泌は朴正煕元大統領の側近で、1961年5.16軍事クーデターを一緒に準備し、1963年まで約二年間は初代中央情報部長として過ごした。また妻である朴栄玉とは、朴正煕元大統領の紹介で出会い、朝鮮戦争最中の1951年に結婚した。
妻の朴栄玉は、朴正煕元大統領の兄の朴相煕(パク・サンヒ)の長女で、朴槿恵元大統領とは従姉妹関係だ。朴槿恵元大統領は昨年朴栄玉が死去した際に、弔問に訪れている。
生前金鐘泌は「崔順実ゲート事件」で史上初めて罷免された朴槿恵元大統領に対して「大統領が力を失うと国がつぶれる」と声援を送ったこともある。
だが金鐘泌は朴槿恵元大統領の性格を「固執不通(=意地っ張りで融通がきかない)」とも言っている。彼は崔順実ゲート事件が明らかになった直後の2016年11月14日時事ジャーナルのインタビューで「(朴槿恵元大統領は)5000万の国民が退陣しろと言ってもしない。あの強情をへし折れる人は誰もいない」と述べた。
金鐘泌は、朴正煕元大統領のことを「朴大統領のように弱い人はいない。弱いのに強いかの如く装っていた」と話し、「革命も最初は私がやろうと言ったし、朴大統領は最初それに応じなかった」と回顧している。
また朴槿恵元大統領に対して「すごく強情なところは両親に似た」、「一言で言うと、天上天下唯我独尊であった」と明かした。
このインタビューは、報道後大きな話題を呼んだ。
いずれにしろ、韓国歴代政権を牽引し韓国現代史を作ってきた大物がこの世を去った。
竹島―独島問題。解決せざるをもって解決とみなしていいものか。小さな島の問題であるが、次世代に残された課題はとてつもなく大きい。
<文・安達 夕
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