東松山市長選に立候補した女性装の東大教授、安冨歩氏の奇抜な街宣の背後にある実直な主張

「子供を守る」という唯一の政策には、大きなインパクトがある

 安冨歩さんは「子供を守る」ということを、ほぼ唯一の政策にしています。  他にも「音楽に溢れた街にする」などの政策があるのですが、主軸は「子供を守る」です。そして、この「子供を守る」というのは、ただ物理的な危険から子供を守るという意味ではなく、実に深いものです。  安冨歩さんは東京大学の教授なので、いわば日本の最高峰の頭脳を持った若者たちと接しているのですが、この学歴こそすべてだという世の風潮に異論を唱えています。東京大学の教授が、東京大学に進学している若者たちを「素晴らしい若者」だとは思っていないのです。両親の期待を一身に背負い、小学校、中学校、高校と、10代の大切な時代を半ば強制的に「勉学」に費やしてきた子どもたちが「幸せなのか」と提起しているのです。中には勉強が好きで好きで仕方がなく、勉強しまくっているうちに東大に入ってしまった子もいなくはないのかもしれませんが、多くは両親のプレッシャーによって子供らしさを失い、高学歴が幸せだと信じて生きているのです。そして、東京大学に進学した後も勉強を重ね、希望する学部に入るためのテストを受け、やがて日本の官僚になったりするわけです。  たくさん勉強して官僚になった人たちが、まさに今、国民を見下すように笑いながら、平気で公文書を改竄したりしている現実。これらは「教育」がもたらした日本の病かもしれません。学校で教えられた勉強は大人になると忘れてしまう。それは知りたいと思って学んだものではなく、一方的に教えられているから。  例えば、学校でイジメられている子供がいても、何事もなかったかのように授業だけは普通に進められていくというのは「異常な光景である」と安冨歩さんは主張します。イジメられている子供に寄り添うことなく、誰かが泣いていても授業が進められ、問題の解決を優先するのではなく、勉強のカリキュラムを進めることが優先される日本の学校。  それが本当に「教育」として正しいのでしょうか。  よくよく考えてみれば、とてつもなくサイコパスな話かもしれません。子供の頃から「泣いているクラスメイトを無視して勉強するのが正義」だと教えられる教育を受けて、そんな子どもたちが大人になった時に泣いている人を助けられるようになるのでしょうか。もしかしたら、その答えが今の政治に表れているのではないでしょうか。  何よりも優先して勉強することを正しいとするのではなく、子供の「食う」「寝る」などの環境をしっかり整えた上で、子どもたちの個性を尊重し、その上でどうするかを考えるのが本当の「教育」なのではないか。「教育」の根本的なところを変えて、子どもたちが大人になった時に豊かな社会が作れるようにしようというのが、安冨歩さんが主張していることなのです。こうした安冨歩さんの主張に賛同する人は急速に増えており、SNS上で注目され始めています。なので、僕からの提案は「安冨歩さんの選挙運動を変えるべきだ」というものではありません
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安富氏の発言をもっと広めるべき
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