photo by Juan Antonio Segal via flickr(CC BY 2.0)
1990年前後、タイは文字通り存亡の危機に立たされていた。エイズが爆発的に広まり、このままだと国民全員がHIVに感染してエイズを発症するのではないかとまで言われた。
そのせいで、観光で成り立つタイ経済も大きな打撃を受けた。タイを訪問する外国人環境客が激減したのだ。「タイに行くとエイズになる」という説がまことしやかにささやかれた。
科学的事実に基づいて述べると、HIVの感染力は非常に弱く、蚊に刺されるくらいでは絶対に感染しない。もちろん、「タイに行く」だけで感染するはずもない。
そんなタイに、五百万人以上の命を救ったということで国民的英雄と崇められ、全世界から訪問客がひきもきらない人物がいる。にもかかわらず、彼の名前を日本語でグーグル検索すると数件しかヒットしない。つまり日本人は誰も彼について知らないということだ。そして、彼のおかげで命が救われた日本人が一人や二人ではないことも、おいおいこの記事を読むうちにわかっていくだろう。
いまやタイを危険な行き先だと考える人はいない。筆者はここ数年にわたり年に二回タイを訪れているが、何もない。なぜ、あのような風評被害および爆発的感染が止まったのだろうか。今回はそんなタイの国家的危機を救った人物に単独インタビューを敢行した。
ウィワット・ロジャナピタヤコーン博士(以下Dr.ウィワット)はタイの名門マヒドン大学の教授で、2009年にはタイの売春婦全員にコンドーム着用を徹底させた功績を認められ、マヒドン王女賞を受賞した。数年後にはノーベル平和賞を受賞してもおかしくない人物である。Dr.ウィワットの功績は、人はいかにして影響力を持ち、多くの人たちの行動様式や結果を変えることができるのかという全世界の事例を集めて紹介した名著『Influencer』の中に詳述されている。
タイでは、医学部を卒業した学生は必ず一定期間地方で医療行為に従事しなければならない。Dr.ウィワットも例外ではなく、マレーシア国境に近い南部の地方に派遣され、三年間をそこで過ごしたのちにバンコクへ戻り、専門性を高めるため疫学を学ぶことになる。その後Dr.ウィワットはタイの保健省に奉職、予防医学、特に性病防止に力を注ぐことになる。
タイで初の発症例が出たのが1984年だった。米国で修士号のため学んでいたタイ人同性愛者男性が米国人男性と関係を持ち、感染した。帰国時には既にエイズを発症していた。
「彼が帰国して最初に収容されたのが、今私たちがいるこの病院です。彼には薬物使用歴はありませんでしたから、同性愛によって感染したのは明白でした。おそらく、祖国タイで死ぬために帰国したのだと思います」