退職した日経新聞記者が自信満々で株式投資に挑んだら500万円の大損をした理由

三橋規宏

経済記者を長年やってきた経験から、株取引もうまくできると思っていた

日経平均 私は、日本経済新聞社を退職したら株式投資をしてみたいと思っていました。どのようなタイミングで株式を購入するかは株価の現状をつぶさに把握する必要があります。1980年代後半のバブルが崩壊すると、日本は1990年代に入り「失われた20年」と言われる深刻な長期景気停滞に陥りました。

 その影響で、日経平均株価も暴落しました。日経平均はバブル期の1980年代後半、急速な上昇を続け、1989年12月29日の大納会でこれまでの最高値3万8915円を記録しました。だが、それをピークに1990年代に入ると株価は一転大幅下落に転じました。

日経平均の推移4547

日経平均は低迷を続けた

 図の「低迷続ける日経平均の推移」をご覧ください。1995年には1万5000円を割り込みました。ピーク時の4割程度まで下落したことになります。その後、一時的に持ち直す場面もありましたが、1997年には、三洋証券、山一証券の相次ぐ倒産、倒産などありえないと言われていた都市銀行の北海道拓殖銀行、1998年に入ると、日本長期信用銀行が倒産するなど深刻な金融不安が発生し株価はさらに下落しました。

 日経平均の低迷ぶりを見ていると、株式を買う“うま味”は当分訪れそうにないと半ばあきらめていました。

ITブームがまだまだ続くと思い、株取引に手を染める

 私が新聞社を退社したのが2000年3月です。その5年ほど前の1990年代後半にアメリカではシリコン・バレーを中心に空前のITブームが起こりました。グーグル、アップル、ヤフー、マイクロソフト、ネットスケープ、アマゾンなど一連のIT関連企業の株価が急上昇しました。

 IT関連企業の銘柄の多いNASDAQの総合平均指数は、1996年頃は1000前後で推移していましたが、1999年には2000を突破。2000年3月10日の終値(おわりね)は、ピークの5048を記録しました。しかし、その翌日から株価は急落して2001年には2000を割り込み、2002年にはさらに1500を割り込み、ブームは収束しました。

 アメリカのITブームは日本にも伝播しました。すでに指摘したように、1990年代に入ってからの日本は長期不況にあえいでいました。アメリカのITブームはそんな日本にとって希望の灯に見えました。1990年代に入ってから日経平均は下落を続けていましたが、1999年に入った頃から米ITブームの影響を受けて久しぶりに上昇に転じました。2000年4月17日には2万434円のピークをつけましたが、その翌日から急落しました。

 2001年に入ると1万円を割り込みました。1年間で株価は1万円も下落したことになります。ITブームでもてはやされたソフトバンクの時価総額はピーク時の約20兆円から2800億円へと100分の1まで下落しました。マスコミは「ITバブルの崩壊」としてこのニュースを大きく取り上げました。

 だが、当時の私は自信満々でした。もし自分が株式投資をするとすれば、それなりに儲けてみせるという自負がありました。経済記者を長年やってきた経験から経済の先行きを見る能力、有望企業を選別する目は普通の人より優れていると密かに思っていました。

 その頃の私はITブームがまだまだ続くと判断していました。そこで初めて株式投資に手を染めました。今こそ絶好のチャンス到来だ、ピークよりも下落した水準の今こそ買いのチャンスだと思ったのです。続落する株価を見てさらに買い増しました。

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天狗の鼻がポッキリ折れて失意の日々

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