RADWIMPS新曲に見る「無邪気な愛国ファンタジー」の果てにあるもの

石黒隆之

RADWIMPS AFP=時事

 一昨年、映画『君の名は』の主題歌「前前前世」で大ブレークを果たしたロックバンド「RADWIMPS」。彼らの新曲「HINOMARU」(作詞・作曲 Yojiro Noda)が、いま大変な物議を醸している。タイトルの通り、そのネトウヨ的な歌詞に戸惑いと反発の声があがっているのだ。

 たとえばこのフレーズを見てみよう。

<胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、
 誇り高く この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊>

 早い話、ボカロ曲の「千本桜」や、椎名林檎(39)の「NIPPON」と同じで、安っぽい愛国ビジネスから生まれた曲だと言って差し支えない。

 作者の野田洋次郎氏(32)は、「何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」と語っている。こうした言い訳にも、「戦争中でもないのに右か左か問うのはナンセンス」と語り、詭弁を弄した椎名林檎と通じる部分がある。

 自らの立ち位置を明確にせず、あたかも中立、普遍的であることを装うのも、愛国ビジネスにありがちな態度だと言えるだろう。

 とはいえ、彼らが「気高きこの御国の御霊」だとか「混じり気のない気高い青」だとか歌う行為自体をとがめるつもりは毛頭ない。それは内心の自由で認められている行為だからだ。

「七十数年前にこういう歌詞の曲が乱発された結果とんでもない数の人が死んだ」と心配するネットユーザーには、RADWIMPSや椎名林檎にはそこまでの影響力はないからご安心くださいと言ってあげたい。

国を愛し誇るときのステレオタイプで軽い言葉

 それよりも気になることがある。国を愛し誇りを持つことを表明するときの言語が、どうしてこうも表面的でステレオタイプになってしまうのかという点だ。

<たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ>(「HINOMARU」)のように、取ってつけた古文体で、死と引き換えに生の儚さを歌う。なぜか現代の日本の現実の生活を直視せずに、よく知りもしない古代の歴史に帰ってしまう。そこからしか、大きな物語を描けないのである。

 要は、彼らの愛国心はファンタジーなのだ。ここにエセ愛国ソングの気持ち悪さが集約されているのではないだろうか。となると、これは保守だとかリベラルだとか以前の問題である。日本人の精神的な弱点に加えて、世界的な傾向についても考えてみる必要がありそうだ。

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なぜ思想的根拠もなく「国家に尽くす」と言いたくなるのか?

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