それを何となくでも感じ取っている、肌身でわかっているという人は、「サラリーマンから足を洗いたい」という言葉に違和感なく頷く。「意味がわからん」と感じる人は、「失われた20年」の前の価値観で生きている。気づかない人は、幸か不幸か。 「いい会社に入れば、いい会社に居れば……」なんて考えは時代錯誤も甚だしい。
かつてあった「24時間、戦えますか」というコマーシャルを見て、「アタイも頑張る!」と思えるような人は頑張ればいいだろう。空回りして、スリップして、動けなくなるかもしれないが。今の政界も経済界も、うわべでは時代に即したことを口にするが、いまだ根性論ばかりに見える。
アベノミクスがそうだ。根性で何とかなる時代ならいいが、根性を出すとウツウツとして死んでしまいかねない。事実、根拠レスな根性論のアベノミクスは、経済成長など産まずに格差だけを産んだ。そうなるなんてわかりきっていたことだ。
根性論でなく、経済構造の事実に目を向けないからだ。愛国心が好きな、この国のトップに君臨していると勘違いしているヤカラは、マヌケなやつらばかりで腹が立つ。嫌気がさす、未来が奪われる。
しかし愚痴ばかり言ってはいられない。俺らは自然の死を迎えるまで、愉快に生き延びていきたいからだ。
いまはなき「たまTSUKI」の看板
誰だって、誰かの奴隷、給料の奴隷、なんて嫌だろう。だとしたら「雇われない」という選択を示さなきゃ。「起業」などという、ハードルの高い大袈裟な感じではなくて。
誰もが「できるかもしれない」と思ってもらいたい。「やってみたら、なんとかなった」と笑顔になってもらいたい。
俺はそう思って 14年前、オーガニック・バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」を開業した。ずっと一人ぼっちで営んできた。今年3月末、その役割をひと段落させるべく閉業した。今は千葉県匝瑳市に移住した。新天地でも、雇われないで生き延びてゆく。
The 会社、The 消費、The 東京。
かつてはもてはやされたが、もはやとっくに色褪せ始めている。
18年前に「脱」会社を果たし、徐々に「脱」消費を果たし、やっと「脱」東京を果たし、今の私がある。
「脱」を重ねて何を得てゆくか。
あなたもきみも、たまには月を眺め「あぁ、いいな!」と思いたいなら、何を手放せばよいかな?
<文/髙坂勝 写真撮影/倉田爽>
1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを開店。今年3月に閉店し、現在は千葉県匝瑳市で「脱会社・脱消費・脱東京」をテーマに、さまざまな試みを行っている。著書に
『次の時代を、先に生きる~まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)など。
30歳で脱サラ。国内国外をさすらったのち、池袋の片隅で1人営むOrganic Bar
「たまにはTSUKIでも眺めましょ」(通称:たまTSUKI) を週4営業、世間からは「退職者量産Bar」と呼ばれる。休みの日には千葉県匝瑳市で NPO
「SOSA PROJECT」を創設して米作りや移住斡旋など地域おこしに取り組む。Barはオリンピックを前に15年目に「卒」業。現在は匝瑳市から「ナリワイ」「半農半X」「脱会社・脱消費・脱東京」「脱・経済成長」をテーマに活動する。(株)Re代表、関東学院経済学部非常勤講師、著書に
『次の時代を先に生きる』『減速して自由に生きる』(ともにちくま文庫)など。