良くも悪くも自由過ぎる米スタバ利用客の生態。日本もいずれ「無法地帯化」する!?

橋本愛喜

ホームレスがカジュアルに利用する光景も珍しくない

 一方、日本における「店の公衆トイレ化」という点では、誰もが一度は世話になったことがあるであろう、「コンビニ」がそれに近い位置にある。 「トイレを貸す貸さない」は、各店舗の経営者の裁量に委ねられているものの、以前に比べると最近は大半のコンビニがトイレを開放するようになった。  そんな日本のコンビニ客の間には、一昔前まで「トイレを借りたら何か買っていく」という暗黙のルールのようなものがあった。しかし、今回「コンビニでトイレを借りたら何か買うか」というアンケートを実施したところ、「買う」とした人は70人中38人と、ほぼ半数に留まった。  このことからも、今や「トイレ」は「商品購入」と変らぬ程、コンビニの存在意義の1つとなっていることが分かる。  こうして見ると、トイレに対する「客の自由度」や「店の公衆トイレ化」は、カフェとコンビニの違い以外、日米それほど変わりはないが、24時間営業の店で鍵もつけずにきれいなトイレを提供できるのは、客の「品格」や「モラル」あってこそできる日本の「お家芸」とも言えるだろう。  余談になるが、トイレ1回あたりに使われる水道料金を東京都水道局に問い合わせたところ、給水管の太さやトイレのメーカーなどにもよるとのことだったが、一般的に広く使われる20mmの給水管と昨今主流のトイレで、「大(平均水量6リットル/回)」を流した際にかかる料金を、水道・下水道の基本料金から算出すると、その料金は約2.24円になる。  薄利多売なコンビニ業界。買わずして店を出た時に背中で聞く「ありがとうございました」には、アメリカのトイレの鍵以上に強力な“力”を感じてしまう。  米スタバの「客の自由度」が高いのは、店内の使い方に限ったことではない。入店する人やモノに対してもそうだ。レジ前で待つ人間の列に犬が混ざっていたり、「外に放置しておくと盗られるし、施錠も面倒」と、マウンテンバイクと一緒に入店したりする姿は、現地ではなんら不思議な光景ではない。  約20年前、筆者が初めてニューヨークのスタバに入った時、大きなカップにお湯を入れてもらって戻って来た隣の客が、カバンからポータブルDVDプレイヤーと袋麺を取り出し『タイタニック』を観ながら“カップラーメン”を食べ始めたのを見て、「ここはあんたの家か」と、度肝を抜かれたことがあった。  ふと、彼の後方を見ると、荷物をたんまり詰め込んだ2台の買い物用カート。それで初めて彼が「ホームレス」だと気付いたのだが、その「スタバ×ホームレス」という組み合わせは、当時、日本の「オシャレなスタバ」しか知らなかった筆者にとって、タイタニックやカップラーメンの存在よりも大きな衝撃だったことを覚えている。  ニューヨークのスタバでは、彼のように大きな荷物を引っ提げたホームレスが1日中座っている姿を今でもよく目撃する。  彼らアメリカのホームレスは、社会から良くも悪くも隔離されず、街に溶け込んでいるため、廃棄食品が出やすく冷暖房の効いたスタバやファストフード店とは距離が近いのだ。  今回の米スタバ客の逮捕は、こうした「客の自由度」が高い中で起こった出来事だった。それゆえ、「周りの客に迷惑をかけたわけでも、米スタバの日常的な使われ方の範疇から逸脱したわけでもない彼らが、どうして逮捕されるのだ」という驚きが、「人種差別だ」なる声に繋がったのである。  日本では、「客の自由度」がアメリカよりも限定的で、各々のモラルも高いため、今のところ今回のような事件が起こりにくい環境にあるが、その一方、客が「神」だと崇められ過ぎたことで、「アイス冷凍庫の中に入る神」や、「店員に土下座させる神」など、その身分を勘違いするケースや、「外国人の隣は怖くて座れない」、「外国人が調理した料理は食べたくない」などといった心無いクレームも生じている。  日本国内のグローバル化や生活環境の多様化で、様々なバックグラウンドを持った客や店員が増える中、こうした差別問題や常識の不一致からくるトラブルは今後、日本のサービス業にとっても、決して他人事ではないのだ。 <取材・文/橋本愛喜> フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。
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