人気イベントから一転、過渡期に訪れた「どん底」~「ダメリーマン成り上がり道」#5
世の中で流行する事柄や、大ブレイクをした人には、誰にも見向きもされなかった「どん底の時代」が存在することが多い。MC正社員の連載『ダメリーマン成り上がり道』の第5回は、そんなMCバトルどん底の時代と、そこで起こった価値基準の転換について見ていこう。
MC正社員が自身の大会「戦極MC BATTLE」を開始したのは’12年初頭。それ以前のMCバトルの世界は、UMB(ULTIMATE MC BATTLE)の存在感が圧倒的で、「あとは『その他の草バトル』という状況だった」と語る。
「特にUMBの東京予選は、CDで作品をリリースしているMCが多く出場していて、かなり盛り上がっていました。’08年は般若やメシア THE フライも出ていたし、ISSUGIやPUNPEE、ZORN、鎮座DOPENESSといった今人気のラッパーも、その頃までは東京予選には出ていましたね」
そのUMBの’10年の東京予選で、MC正社員は大きな変化を感じたという。
「優勝が晋平太で、準優勝はアスベスト。ベスト4がZORNとRUMIでした。小さなMCバトルの大会にコンスタントに出ていたメンバーが、上まで勝ち上がっていくようになったのもこの年から。一方で、ISSUGIやRUMIといった作品をリリースしているアーティストは、翌年からUMBに出場しなくなりました。この’10年から、『作品リリースをしているラッパー』と『バトルを主戦場にしているラッパー』の逆転現象がはじまったと思っています」
それまでの東京予選では、1年に1回だけバトルに出場する有名なラッパーが「オーラで勝っている印象があった」とのこと。それを、コンスタントに出場していたラッパーが“MCバトルならではの技術”でねじ伏せていくようになったのだ。
「これはひとつの神話の崩壊とも言える出来事で、UMB 2010本戦での晋平太の優勝は、その象徴だったと思います。彼は努力と磨いたスキルで優勝した。彼の優勝でバトルにそっぽを向いたMCも多かったと思います。それまではUMBを優勝するのは空気感やカリスマ性で自分をヒーローにして優勝する人ばかりでしたから。『あいつが優勝する大会ならオレは出なくてもいいと思った』『来年はもうUMBはやらなくていいよ』と言っていたMCさえもいたぐらいです」
そして’11年のUMB本戦の優勝も晋平太。ここで「明らかに時代が変わった」とMC正社員は感じたという。
「NAIKA MCとの決勝は『寝技で勝った』と言えるような見ごたえのある試合でしたし、晋平太は圧倒的なMCバトルの技術で相手をねじ伏せていきました。このあたりから、MCバトルはルールも整備され明確な勝ち方みたいなものがわかってきて、『一般層にもウケるもの』になっていったと思うし、俺はそれをいいことだと受け止めていました」
さまざまなバックボーンを持つラッパーが一堂に集う“異種格闘技戦”から、MCバトルに特化したスキルを競う“総合格闘技”に変貌していったとも言えるかもしれない。現在、全国に広がるMCバトルの文化が成熟し始めた瞬間だ。
MCバトルイベントに訪れた大きな転機
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2018.04.29
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