しかし、人気のラッパーがバトルの世界から離れたことで、「このアーティストが出るから見に行こう」と見に来ていた層は、客席から消えてしまった。MCバトルが「ラッパーの名前を知らなくても楽しめるイベント」に変化していくなかでは、失われたものも多かったというわけだ。
「UMBの東京予選は’10年までLIQUIDROOM(キャパシティ約900人)だったのが、’11年は新宿LOFT(約500人)になって、動員のうえでは明らかな格下げ感がありました。あと’11年には『B-BOY PARK』のMCバトルが開催されたのですが、JCBホールで大会を開いて、KREVAもライブをして、テレビ放送もしたのに、大きな話題にはならなかった。このときは俺も『MCバトルもいよいよヤバイな』と思いましたね」
そんなどん底の状態で、「ほんの一筋の光明だった」というのが’12年から始まった『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』だった。高校生(中卒や高校中退者も高校生の年齢であれば出場可)の大会ということもあり、新世代の出場者、客層がMCバトルに関わるようになった。
「’13年の第3回大会を見に行ったんですけど、客席はマイルドヤンキー的な若者とか、オシャレな人とか、これまでのMCバトルでは見ない層が多かったです(笑)。『こんなに客席に女子が多い大会、見たことねえぞ!』と驚きましたね。あと印象的だったのは、出場者のHIYADAM(‘96年生まれのラッパー)が『お前のラップR-指定』ってラップしても、客席から特に反応がなかったこと。『え、ここにいる客はR-指定のこと知らねえの?』と驚きました」
R-指定は’12年にUMB本戦で初優勝を遂げていたが、高校生RAP選手権の客層はUMBを見ていない人が多かった……というわけだ。UMBのような既存のMCバトルと、高校生RAP選手権の間にはそれだけ大きな断絶があったが、一方で「これまでのバトルの世界とか、俺たちがやってきたことと繋がっていることもあるんだな」と感じたこともあったという。
「客席に知り合いがいなくても、出場者にはMC妖精(現・HELL BELL)とかバトルで知り合った人は結構いたんです。そのMC妖精がHIYADAMとか、その日出ていた高校生ラッパーを連れてきて僕を紹介してくれたら、『あ、正社員さんですね。知っています』と、ほとんどの出場者から言われました。その後の大会でT-Pablow君と初めて話したときも『戦極とか見てますよ』って言われたし、出場者には『YouTubeで戦極MC BATTLEを見ていた』という人がたくさんいて。高校生ラップ選手権を見にきてるお客さんが戦極やUMBを知らなくても、出場してるMCはそれで育ったんだ。自分たちがやってきた大会は知らないうちに次の世代を育てていたんだなと嬉しく思いました」
MCバトルが変容していくなか、コアなファンが集まるイベントは、過渡期ならではの苦境に立たされていた。しかし、その影ではMCバトルの動画配信など地道なプロモーションを行ってきたことで、順調に次世代のラッパーが育っていたのだ。
<構成/古澤誠一郎>
【MC正社員】戦極MCBATTLE主催。自らもラッパーとしてバトルに参戦していたが、運営を中心に活動するようになり、現在のフリースタイルブームの土台を築く