80年代のテレビは、テレビ的な演出の裏側を見せることによって、視聴者とアイロニーを共有するという文化を根付かせた。
確かに一昔前まで、テレビのバラエティといえば、タレントやお笑い芸人が内輪のドタバタを繰り広げるものが多かったように思う。昨今主流の、医者や弁護士が出てくる教養番組や、「池の水をぜんぶ抜く」ようなリアリティー系は極端に少なく、ただただ自己言及的なコメディ空間が広がっていた。
80年代的なテレビ文化において、視聴者は演出されたドタバタをアイロニカルに眺める。バラエティの演出を「本気で信じてはいけない」というリテラシーを、皆が身につけていた。それが良い時代だったとは特に思わないが、30年以上前と現代では事情が違う。
’00年代に入り、視聴率は落ち、コンプライアンス遵守がさけばれ、テレビ局は無難な教養番組で中高年ウケを狙うしかなくなった。
池上彰と林修が講義をし、若手芸人とタレントが数名、ふんふんと聞いている図がもっとも安心なのである。表面的でも、ベタで真面目な内容がいちばんウケる。
真面目化が進む中、医療バラエティ番組でダイエットをすることになったお笑い芸人(安田大サーカスのクロちゃん)が、「ダイエットをサボるな」と炎上したり、ちょっとふざけたモノマネを披露したキンタロー。さんが「アイドルを馬鹿にするな」と炎上したりするのは当然である。
テレビから80年代的な過剰演出が消えたのと同時に、それを笑い飛ばすリテラシーも必要なくなったからだ。視聴者はテレビ的な「演出」をまるごと信じ込み、「許せない」「不快だ」と怒り出す。
もちろん一定数、あの頃のようにメタな視点からバラエティを笑う視聴者もいるだろうが、キンタロー。さんのモノマネに激怒するネット民に感じるのは、芸能事務所に直接クレームを入れてしまうような、衝動的な感情の発露だけである。
バカバカしい内輪のドタバタ演出を、皆で嗤った80年代のテレビと、ベタな真面目さが求められる今のテレビ。どちらがいいというのではないが、テレビ局やタレントにとっては想定外の事態が増えるだろう。
今後は「炎上したときの対応」も企画のひとつとして、ネット炎上をエンジンにするような番組が生まれるかもしれない。
ネットTVなどはすでに一部そうなっている。それは「テレビの終わりの始まり」か、それとも新たな時代の幕開けになるだろうか。
<文・北条かや>
【北条かや】石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『
キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。著書は『
整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『
本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『
こじらせ女子の日常』(宝島社)。最新刊は『
インターネットで死ぬということ』(イースト・プレス)。
公式ブログは「
コスプレで女やってますけど」