不動産差し押さえ現場の闇を追う新連載スタート!
「死刑執行人のようなもの」
私は、自分の仕事を他人に説明するとき、このように話す。
仕事とは、「不動産執行」。
生活の歯車が狂い、立て直しに奔走するもうまくいかず、借りた金や住宅ローンの返済などが滞ると、やがて裁判所から「競売開始決定通知」が届く。
その後「現況調査に関する通知」で日程が調整されると、裁判所の“不動産執行”に基づき、我々がやってくる。
居留守を使おうが、連絡を断とうが、行方を眩まそうが、室内に立て篭もろうが関係ない。
私は、彼らから家を取り上げる血も涙もない“死刑執行人”なのである。
実際に、この仕事では多くの人の死を目にする。追い詰められ、精神を病み、セルフネグレクトに陥るものもいれば、虐待や暴力に走るものもいる。家族が崩壊するケースも少なくない。
「そこには社会の縮図とも言える状況があるんですね」
ドヤ街、ホームレス、老人ホーム、宗教施設、刑務所。にっちもさっちも行かなくなってしまった人々をテーマにしたトークショーやメディアなどに招かれることが多いが、必ずこのようなことを言われる。
人々は社会の暗部を目にすると、「これこそが社会」「これこそが全て」「これこそが真実」と思いたがる傾向にある。
だが、私に言わせるとそれは衣服のシワのようなものだ。どれだけ丁寧にノリとアイロンでキーピングしようが、衣服の“シワ”を根絶することはできないのだ。真実は光も闇も渾然一体なのである。
本稿では、その事例を紹介していきたい。
その日の現場は、最寄り駅から徒歩約15分。緑多く閑静な住宅街というしなびれた言葉がしっくり来る、角地にたたずむ豪邸だった。
債務者は執行官とのやり取りに応じないため、この日の事案は“鍵開け”だった。
今思えば、この豪邸を外から目にした際の違和感は予兆でもあった。1階部分はしっかりとシャッターや施錠で戸締まりがされているが、2階の窓は多くが少しだけ開いた状態で止めてある。さらに窓から覗く網戸のようなものが全てすだれ状に切り裂かれていた。