「内閣政府広報室の件については、“しか載っていない”のではなく、“しかなかった”のではないかと思う。つまり、あれは“運動の成果”なんです」
そう語るのは、『
日本会議の研究』著者である菅野完氏だ。同書の元になった
本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」では、生長の家原理主義者たちを淵源とする、日本における草の根的な「保守派市民運動」の構図を詳らかにした菅野氏はこう続ける。
「私は“運動の成果”と言いましたが、、あれは極めて無自覚な中でなされた“運動”なのです。投稿する人たちは、どこかの機関なり組織に所属して、そこの指導なり命令でああした投稿をしているわけではありません。
しかし、すでにネットには、『有象無象の人々が、誰かの呼びかけによって足並みをそろえた行為を行う』という行動様式が確立しています。無論、このような行動様式は、保守派・右派だけに見られる傾向ではなく、あらゆる陣営・党派・クラスタの人々がこの行動様式を取るようになっています。ですが、右派・保守派による事例が最も顕著かつ悪質であるのは間違いないでしょう。内閣府だけでなくあらゆる役所は今後パブリックコメント等をネットで募集する際、この種の行動様式がすでにネットでは定着していることを認識すべきです。
一方で、かつて存在したような『大きな団体が組織的な行動をとって行政に働きかける』タイプの運動手法はすでに影響力を失っています。リベラルサイドの運動が弱く感じられるのは、この種の“古い運動手法”に固執しつづけ、またその運営ノウハウも徐々に劣化しているからでしょう。日本は長らくの間、民主的な市民運動を冷笑し、嘲笑し、足蹴にしてきました。その結果、リベラルサイドは虫の息となり、行政や政府にああしたサイトができても誰も何も投稿しない。結果的に積極的にヘイトを投稿する連中のものだけが集まってしまった。そして、行政サイドにそうした構図についての認識がまるでなかったのが今回の問題なのではないかと思います」
構造的にこうしたヘイトスピーチばかりが集まってしまうのだとすれば、やはり問われるのはその後それを公開するか否かの判断である。敢えて全文公開とした上で、個別の意見に真摯に対応した長野県の対応はまだしも、「差別的な投稿は公開しない」と断った上で、それでもなおヘイトを垂れ流し、それが発覚すると何の反省も釈明もなく、「モニター制度は昨年度までで、目的が終了したため」という理由だけを公表して閉鎖した内閣府政府広報室の姿勢は問われるべきであろう。
<取材・文/HBO取材班>