日本人のパーソナルスペースの取り方は独特だった!?
先日、某掲示板に投稿された電車内トラブルの内容が、ニュースサイトで話題になった。
要約すると内容はこうだ。
日曜、テーマパークに向かうため電車に乗っていた投稿者。
行楽日和で車内がすし詰め状態の中、投稿者の隣には4~5歳の男の子が一人で立っていた。すると人混みの中から母親が、男の子が自分の元へ移動してくるよう促した。だが満員電車の中、投稿者は男の子が通るスペースを空けることができない。母親に男の子の道を開けるよう要請されたがやむなく断ると、母親からは降車するまで聞こえよがしに罵声を浴び続けたという。
このように、日本では電車内トラブルが後を絶たないが、それは座席においても同様だ。
筆者は先日、都内へ向かう電車内で、空いていた席に腰をかけたところ、ものすごい勢いで隣の人に睨まれたことがあった。
赤の他人にこんなおっかない顏を向けられる理由を探しつつも、神経が無駄に図太い筆者は、さほど気にせずにいたのだが、次の瞬間、尻元から何かが引っ張り出される感覚を覚えたことで、その時初めて自分がその人の衣服の裾を尻で踏んでしまっていたことに気が付いた。
筆者はすぐさま「すみません」と詫び、時すでに遅くも謝意を込め、しばらく尻を上空で“ホバリング”させていたのだが、そのお隣さんは何も言わず、口を「への字」にしたまま何度も座り直しては、踏まれた裾を大事そうに自分の尻下へしまい込んだのだ。
その姿を見た筆者は、自分の胸にそこはかとなくも鮮明に湧き出る“違和感”に気が付いたのである。
電車内の椅子において、隣の空席に衣服の裾をはみ出している人と、その裾を尻で踏む人、どちらに非があるものなのだろうか。
「1人分の席」が“くぼみ”によって暗に示されていることが多い、日本の電車の椅子。
普段筆者は、着席前に隣の人の衣服の裾がはみ出ていることに気付いたら、「ここ座っていいですか」なる婉曲表現で「それ、この尻で踏まれたくなければどかしてくれ」と催促し、その言葉の真意を汲み取れない人の場合は、その裾を「持ち主」の元へサッと寄せて座るようにしている。
今回、気付かず踏んでしまった筆者にももちろん過失はあったが、衣服の裾をはみ出していたのは「への字」さんのほうだ。傲岸不遜の筆者は「空席に服はみ出させとったアンタにゃ非はないんかい」と、大人気なくも思ってしまったのである。
後日、今回のケースにおいて世間はどう思うのか気になった筆者は、「電車の空席にはみ出た衣服の裾は、尻で踏んだほうと踏まれたほう、どちらがマナー違反なのか」なるアンケートを実施。その結果、回答のあった日本人120人のうち、なんと88人もの人が「踏まれたほう(裾をはみ出したほう)」だとしたのだ。
自分が聞いておきながら、この結果はかなり意外だった。
つまるところ日本には、「尻で人の所有物を踏む」よりも「公共の場で1人分のスペースを守らない」ほうが悪いと考える人が、筆者以外にも相当数存在する、というわけだ。
本来ならば「人のモノを尻で踏む」という行為を正当化する余地は一切ない。しかし、それが公共の場で「1人分」と区切られているスペースからはみ出ているモノとなった途端、日本では「踏まれて当然」という主張が生み出されるのである。
考えてみれば、他人とのスペースにまつわる攻防の場は、“裾尻合戦”以外にも多く存在する。「爆睡し、顏を肩にもたれかけてくる」、「ひじ掛けを占領する」、「雨の日にすれ違う時、傘を傾けない」などの行為も、この類だろう。