写真/DonkeyHotey
先月、トランプ大統領のダボス会議での演説に衝撃が走った。生真面目な日本の新聞は一斉に「環太平洋経済連携協定(TPP)への復帰検討を明言」「TPP再検討」「多国間協定に意欲」と報じた。「軌道修正」「現実路線への転換」、中には「就任2年目で方針転換する」とまで言い切っている記事さえあった。(果たしてそうだろうか?)
ところが先日の米国議会での一般教書演説では一言もTPPについて言及していないではないか!
それを見て、やっと日本の新聞もトランプ氏に踊らされていたことに気が付いたようだ。
実はトランプ氏は前日のテレビのインタビューで、再交渉を前提にTPPへの復帰を検討する考えを発言して大きな波紋を呼んだ。この衝撃発言を受けて、当然この日の演説に注目が集まっていた。記者たちも勢い演説内容を、それを前提に聞いてしまう。(それはトランプ氏の思うつぼだ。)
しかし、そういう先入観なく、演説内容を読めば、どうだろうか。
「米国は全ての国と、相互に利益のある2国間の交渉をする用意がある。これにはTPPに参加する、とても重要な国々も含まれる。それらのうち、いくつかの国々とはすでに協定を結んだが、すべての利益に合致する場合、残りの国とも個別にまたは多分グループとして交渉を検討する」
これが果たして、「TPPへの復帰検討」「多国間協定に意欲」だろうか。
これは「TPP参加国を相手に、TPPとはまるで違う、米国の利益になる内容の協定を交渉する用意がある」と言っているに過ぎない。
さらにトランプ氏は地球温暖化対策のパリ協定からの離脱についても同じレトリックを使っている。英国のテレビインタビューで、米国が離脱した世界の温暖化対策の枠組み「パリ協定」についても、「パリ協定に復帰しろと言うなら、それはまったく異なった取り決めでなければならないだろう」と、TPPと同様の発言をしているのだ。
「異なった内容にすることが条件で復帰する」ということは、「合意された協定は内容が悪いので復帰しない」という、これまで通り「本質的な部分は方針転換なし」と見るべきだろう。日本の新聞の見出しは、トランプのレトリックにまんまと騙されて、いわゆる「勇み足」を犯してしまったようだ。
ではなぜ、このタイミングで「思わせぶり」戦術に出たのか。
答えは、トランプ大統領の頭の中はこの秋の中間選挙対策でいっぱいだ、ということだ。先週、TPP11の参加国の間で内容が固まり、3月署名で合意された。これは米国の予想外であったようだ。TPP11に対して米国は撤退した立場で表立って反対することもできない。冷ややかに「日本のお手並み拝見」であった。どうせ日本はまとめ切れないだろうと、高をくくっていた。それが予想に反して、日本が主導して難航する調整に奔走してまとめ切ったのだ。
米国が焦って当然だった。豪州などTPP参加国に比べて相対的に高関税になって輸出が不利になる牛肉などの畜産業界の焦りは高まる。畜産業界は政治力の強い業界でもある。この秋の中間選挙の対策としても何らか手を打つ必要が出てきた。
そこでTPP復帰の可能性もあるかのような「思わせぶり」戦術だ。その「思わせぶり」は国内の産業界の焦りにも配慮したポーズとして中間選挙対策に有効だ。「産業界からの圧力で方針転換を迫られた」との日本の報道もあるが、圧力があるからと言って、トランプ氏が本気で方針転換すると思うのは、トランプ大統領の本質を見誤っている。これで米国の復帰に期待を寄せて、3月の署名に動揺が走る国が出てくれば御の字だ。決して本気でTPP復帰を検討するのでは毛頭ない。
トランプ氏の岩盤支持基盤はあくまでも中西部を中心とする労働者層だ。TPPに対して「雇用を奪う象徴」のように受け止めている人たちだ。中間選挙に向けて、支持層を固めようとしている中、TPPからの撤廃の選挙公約を守って大統領令まで署名したものを方針転換することは当面考えにくい。
また米国政府の現状を見ると、北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し交渉もカナダ、メキシコの反発で暗礁に乗り上げている。米韓自由貿易協定(FTA)の見直し交渉も始まって本格交渉はこれからだ。更に、中国との関係でも、中間選挙に向けて貿易面で強硬姿勢を取らざるを得ず、次々一方的制裁を発動して貿易摩擦は避けられない。日本との関係でも、日米経済対話での成果を出すことが必要だ。
これだけ戦線が拡大した中で、通商交渉を担当する米国通商代表部(USTR)に人的余力がないことは明らかだ。本気でTPPの再交渉ができる体制ではまるでない。
こうして見てくると、トランプ氏一流の嗅覚で、あくまで駆け引き、戦術として、ダボス会合という効果的な舞台を最大限使って、揺さぶってきたと見た方がよさそうだ。