去る者を追わないアメリカ人、別れの余韻に浸る美学などはない

橋本愛喜
ニューヨークタイムズスクウェアの様子

カウントダウン直後の、ニューヨークタイムズスクウェアの様子

 年が明け、忘年会から始まった飲み会行脚も、「新年会」と名前を変えてそろそろ佳境に入る頃だろう。日本にはこうして去りゆく年を惜しみ、年を越した喜びの余韻を味わう文化がある。

 一方、アメリカにはそもそも「仕事帰りに同僚を集めて飲みに行く」という習慣がなく、こうした盛大な忘年会や新年会をする姿も、街中のバーなどではほとんど見られない。

 それゆえ、この一連の日本の「飲みニュケーション」を周りのアメリカ人に説明すると、「集団で酒を飲み、その1年を忘れようとするとは、どれだけ日本人は悩み多き国民なんだ」、「年末にしこたま飲んでおいて、まだ年明けに新年会をするのか」と、その場が若干ざわつくことがある。

 アメリカ人は日本人と違い、去っていくものに対してあまり執着心がなく、終わったことに意味付けをすることもしないため、余韻に対する概念もかなり薄い。

 そうしたアメリカ人の国民性が顕著に現れるのが、年末年始のシーズンだ。

 ニューヨークのカウントダウンは、世界で最も知られたイベントのひとつである。毎年200万人もの“パリピ”が、「その瞬間」を祝うべく、タイムズスクウェアの巨大看板前に集結する。

 無料で誰でも参加はできるが、寒空の中、入口が閉まる午後2時から最低10時間をトイレ休憩なしで耐え抜く「気力と体力」が必須となる。

 夕方過ぎには豪華なシンガーたちがステージに姿を現すようになるも、そのころには皆、寒さにヘタり始め、遠くの大物スターより、近くの側道でホットチョコレートを売る兄ちゃんに気がゆく。

 膀胱によってその一杯の受け入れを断固拒否され、「こんなに辛抱して迎える年越しは、さぞかし感動的なはず」という期待だけを胸に耐え忍べば、いよいよ始まったカウントダウンで、「今年一番頑張った瞬間」を「残すところあと3秒」に見出すのだ。

 こうしてようやく迎えた「その瞬間」。

 巨大看板から放たれる花火や、夜空に舞い散る無数の紙吹雪に心操られ、苦しみを共に耐え抜いた隣の見知らぬ人にも抱きついては「ハッピーニューイヤー」と叫ぶに相成る。

 しかしだ。これほど長く苦しい時間を耐え、200万人ものパリピがともに感動を分かち合ったとしても、その後の余韻を味わう長さは驚くほど短く、あっけないのだ。

 長さにして、たった十数秒。もちろん、半日我慢していた寒さと尿意も大きな要因なのだが、花火が鳴り止まぬうちからタイムズスクウェアに背を向け、我先にと家路を急ぐ姿を見ると、もはやその瞬間の花火は、新年を迎えた祝砲というより、もはや「帰ってよし」なる号砲にしか見えなくなる。

帰り支度

花火が上がった途端に帰り支度をする参加者たち

 日本のカウントダウンイベントのように、なんならその後にこそ豪華シンガーが数曲歌ってもいいようなボルテージの中、イベント自体もこのカウントダウンをもって終了となり、「余韻なら持って帰れ」と言わんばかりの「塩対応」を見せるのだ。

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「バイバイ」からの余韻が恐ろしく短い

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