インド企業の名を擁する島根県の農業機器メーカー「三菱マヒンドラ農機」

丹羽唯一朗
マヒンドラ&マヒンドラ社のウェブサイト

インドのマヒンドラ&マヒンドラ社のウェブサイト

 昨今、外資系企業と日本企業の提携やM&Aは珍しい話ではなくなったが、インド企業と手を組んでグローバル展開を目指す企業が島根県松江市にある。

 それが、農業機械全般を開発・製造する三菱マヒンドラ農機である。

 三菱マヒンドラ農機株式会社の主要株主の出資比率は、三菱重工業株式会社(66.7%)、マヒンドラ&マヒンドラ社(33.3%)である。三菱重工グループ100%子会社であった三菱農機(本社:松江市)が2015年10月1日付で第三者割当増資を実施し、インドのマヒンドラ&マヒンドラ社が33%出資した。出資額は約30億円であった。

 同社の歴史は長い。始まりは、三菱マヒンドラの前身である三菱農機のそのまた前身となる、「佐藤商会」(1914年)まで遡る。

農機の発明王、佐藤忠次郎

 佐藤商会を創業した佐藤忠次郎は、島根県松江市東出雲町出身。父親が失明したこともあって、貧しさのどん底で少年時代を送っていたという。そのため、子どもの頃から農業の手伝いで駆り出され、家計を助けていたという。そんな折、自転車で田んぼを走っている途中くぼみにはまって倒れ、横転した車輪の動きをヒントに回転式稲扱機を発明。製作販売のために佐藤商会を設立した。忠次郎は、その後も研究を重ね、動力脱穀機、動力籾摺機など数々の農機具を発明し、事業も拡大。

 1944年に、忠次郎は喘息が原因となり59歳の生涯を終えるが、サトー式農機の名声は全国へと広まっていた。(参照:水の都松江

 しかし、1971年には経営に行き詰まり、自主再建を断念。その後、1989年に三菱機器販売株式会社と、佐藤造機株式会社を存続会社としする対等合併を行い、社名が三菱農機株式会社となり、2011年には三菱重工の完全子会社となった。

 インドのマヒンドラ社との付き合いは2003年の頃からだ。このとき、マヒンドラUSA社とOEM契約を締結したことで関係が生まれている。

 その後、冒頭で述べたように2015年にインドのマヒンドラ&マヒンドラ(M&M)と戦略的協業で合意し、三菱マヒンドラ農機株式会社に社名変更した。

インド財閥マヒンドラ・グループ

 マヒンドラ&マヒンドラ社は、1945年に鉄鋼貿易会社として創業し、現在はIT、金融、不動産、製造など多岐にわたるビジネスを展開しているインド財閥「マヒンドラ・グループ」の中核企業であり、自動車、農機といったグループの製造部門を担っている。

 マヒンドラ・グループの売上高は190億ドル(約2兆円)。インド・ムンバイを拠点に世界で20万人以上の従業員を持つ。20の主要産業の事業をおこなっている。(参照:ANNUAL REVIEW 2017)

 マヒンドラ・グループは、鉄鋼貿易会社、自動車製造事業から始まり、1950年代および1960年代に鉄鋼、トラクターなどの業種に事業を多角化した。現在では、IT、ホスピタリティ、金融、航空宇宙および物流の分野でも事業をおこなっている。

 農業はインドの主要産業の一つである。農業大国のインドは世界最大のトラクター市場でもあり、マヒンドラのトラクターは34年にわたりインドでシェアNo.1の42.7%、世界でもトップブランドであり、販売台数も26万台となっている。

 マヒンドラは、今年11月のトラクターの販売台数が2万2754台と、前年同月1万7262台に比べて32%増えたと発表した。マヒンドラのトラクターのインド国内売上は21,046台で、前年同期の15,918台と比較して32%増となった。また、マヒンドラのトラクターのインドからの輸出は1,708台で、前年同月の1,344台を27%上回っている。(参照:India Infoline News Service )

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海外に向けて輸出増で日本国内需要減に対応

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