原発20km圏内に復活、“文化的復興”を担う「埴谷島尾記念文学資料館」の「島尾敏雄展」に行ってきた
2017.12.21
福島第一原発から20km圏内にある福島県南相馬市小高区の「埴谷島尾記念文学資料館」をめざして、都内から車で常磐道を北へ向かった。
2016年7月に再開館したこの資料館では、今年10月に「没後20年 埴谷雄高展」が終わり、現在は「生誕100年 島尾敏雄展」が開催中。直筆原稿や遺品など、島尾敏雄に多く展示スペースがさかれている(2018年1月14日まで)。
ならはPAで休憩すると、目の前に放射線量を示す0.1μSv/h(マイクロシーベルト/時)の表示がある。また、見かけた注意書きによると、この先の常磐富岡インターで降りて海に近い国道6号から北へは、まだバイクの通行が不可ということらしい。その後、浪江インターを出るまで放射線量は1.7μSv/h、福島第一原発のあたりは3.3μSv/hと上がった。
そこから、さらに北へ10kmちょっと走って、文学資料館の入っている浮舟文化会館に着いた。土曜の朝10時前で、その途中、戸の閉まった民家が点々と続き、人影は見えなかった。去年の夏に避難指示が解除されたものの、南相馬市小高区で帰還した市民は2345人(2017年11月末現在)とまだ2割に満たない。
埴谷雄高の未完の長編『死霊』は戦後すぐに発表されはじめ、晩年の1995年に9章「《虚体》論―大宇宙の夢」が発表された。とりわけ1975年、20数年ぶりに5章「夢魔の世界」が「群像」誌上に出たときは、当時の鬱屈した時代状況もあってか、大きな反響を呼んだ。おそらく世界でも類いまれな観念小説だ。
一方、島尾敏雄の代表作『死の棘』はリアルに徹した私小説である。夫・トシオの不倫がきっかけで妻・ミホがおかしくなり、長男の伸一(伸三氏)と長女のマヤを巻き込みつつ、妻の追及、自殺への不安に明け暮れながら一緒に入院するまでの約1年間を、その後、作者は16年余りかけて作品にリアルに「再現」した。
避難解除も、小高区への帰還はまだ2割に満たない
『死霊』『死の棘』ほか、戦後文学史に残る数々の名作
1
2
ハッシュタグ