殺処分される牛。『被ばく牛と生きる』より (C)2017 Power-I, Inc.
被ばく牛の中には、原因不明の白い斑点が出るものも現れた。
大学の合同チームが、被ばく牛を対象に「低線量被ばくによる大型動物への影響」をテーマとする調査研究を始めたが、国は研究の必要を認めず、予算確保のメドも立っていないという。
「国は被ばく牛がいた痕跡を消し去りたいのでは。調査研究も難しい中、農家の『死んでいくなら、せめて人の役に立ってほしい』という被ばく牛への思いが実る保証はありません」(松原さん)
そして大きな経済的負担や長引く避難生活などの理由で、被ばく牛の飼育を諦めて殺処分に応じる者も出始めた。農家が承諾書にサインして殺処分は行われる。つまり、自分の牛の殺処分の最終的な責任を農家が負うしくみになっている。
こうした国の方針に松原さんは疑問を感じている。
「『被ばく牛を流通させない』と言う以上、国が最終責任を負うべきだった。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では、国が軍を出動させて牛を避難区域の外に連れ出すところまでやったのです。非常事態であるからこそ、国が責任を取る姿勢を示せば農家も立ち直れたかもしれません。被ばく牛を飼い続ける農家は、最終責任を個人に押しつける国に憤っていたと撮影を通して感じます」
松原保監督
一体なぜこんなことになったのか。「行き過ぎた経済優先主義が、結果としてあの事故に至ったのでは」と松原さんは見ている。
「そもそも、原発誘致も地域経済を潤す目的で行われました。経済成長だけを追い求めるような社会のあり方を今一度、立ち止まって考える時期に来ているのではないでしょうか。でも世の中からは原発事故から1年かそこらで、そうした意識は消えてしまった。
映像にもありますが、被ばく牛を飼う農家が都心の街頭で訴えても、ほとんど見向きもされません。3年後の東京五輪は東北の復興も大事なテーマの一つなのに、今や日本経済をテコ入れするためのダシにされてしまっているように感じます」(松原さん)
殺処分に抵抗した畜産農家の中には、事故が起きるまでは原発推進だった町議会議員もいる。
「監督としての思いを出すことはせず、農家の言葉にひたすら耳を傾けて撮影した作品です。事故から6年が経つ今も、被ばく牛を飼い続ける農家の思いはどのようなものか。そして、福島で今も続いている事実を、映像を通して知ってもらえたら」と松原さんは話している。
<取材・文・撮影/斉藤円華>
【『被ばく牛と生きる』上映情報】現在、
東京・ポレポレ東中野、
フォーラム福島で上映中。
大阪・第七藝術劇場では12月16日から。詳しくは
公式サイト(http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/)にて。