――そこから連載へ、という流れだったんですか?
国友:読み切りを一本描いて、そのあと原作つきの連載企画のコンペがあって、お前も出せって言われて描いたんだけど、僕は落ちちゃったんですよ。その後はいろいろ上手くいかなかった。そんな時、他から話があって、勝手にジャンプを出ちゃったんです。でも、それがうなくいかなくて、それ以降、しばらく仕事がなくて。
――キャリアのスタートは順調ではなかったんですね。
国友:一応ちょこちょこっと描いたりはしてるうちに、人の縁でいろんな雑誌を紹介されて、芋づる式になんとなく仕事が入ってきたんです。当時はまだ漫画が非常に隆盛でね。メジャー大手3社といわれる集英社・講談社・小学館以外にも、漫画雑誌を出す出版社がたくさんあって、しかも平気で10万部とか売れてたの。言っちゃ悪いんですけど、なかなかB級なんですよ。粗製乱造でも売れるから、作家さんが足らないの。しかも僕が大手で学んだような世界と全く違って、ネームのチェックとかもなかった。
――自由に描かせてもらえたということですか?
国友:自由というより、もう「描いて」っていうだけ。だって編集部2人くらいで雑誌作ってるんだから。時間もないしコストもかけられないんだよね。まあ原稿料も安いんですけど。そういうところに1回描くと、ほかの出版社の人が見て電話してくる。そんな感じで回転しちゃうんですよ。10年くらいそんな生活してた。アンケートもなければネームのチェックもない世界。
ある作品を描いたときなんて、「こういう原作つきで描いてくれませんか」っていう電話がかかってきて、すぐ原作が送られてきて、出来ましたって電話したらアルバイトが原稿を取りに来て、半年くらい続いたんですけど、担当編集と会ったのは「今日で終わりです」っていう最後の日だけ(笑)。そんな世界だった。
――キャリア初期に原作つきの作品が多かったのは、そういう感じの受注仕事が多かったからなんですね。
国友:デビュー以降の10年間、全くオリジナルを描いてなくて。ジャンプで習ったことも忘れちゃって。劇画誌では麻雀ものをよく描いてたんだけど、僕は麻雀も出来ないしギャンブルもやらないんですよね。麻雀ものって、パターンが一緒になるので、麻雀と何かをくっつけるという約束があって、麻雀とウインドサーフィンをくっつけた漫画とか描いた(笑)。でも、麻雀とサーフィン、僕どっちも知らないわけですよ(笑)。だから本を買ってきて、こんなもんかなと適当に。そんなことやってたの。
――それ、凄く読んでみたいです(笑)。その10年間って、アシスタントはいなかったんですか?
国友:漫研の後輩を呼んできて適当に描かせてた(笑)。絵に全くこだわりがなかったので、同じ作品なのに背景のタッチが全然違ったりしたけど、全然気にしなくてさ。そういういい加減な仕事をしてた。自分でも「こんなことをしていていいんだろうか」と、心機一転、真面目にやろうと考えて。
――真面目に描くようになったきっかけは何だったんですか?
国友:食えてはいたんだけど、だんだんウンザリしてきちゃったの。毎回同じようなものを描いてるし、別にアンケートで面白かったという話もないわけだし、描いてはポイなんですよ。さすがに10年すると、こんなことするためにやってるわけじゃないだろう、と。
その時にちょうど、江口寿史君が『ストップ!! ひばりくん!』の連載をジャンプで始めたんですよ。それを読んでぶっ飛んじゃって。ジャンプなのにおしゃれなコメディで、しかもいろんなトレンドが入ってて、絵がめちゃくちゃ上手くて、女の子がかわいくて。ゲーッ!て思った。こんなの描いてもいいんだと。
――『ストップ!! ひばりくん!』が漫画家人生を変えたんですね。
国友:凄くショックを受けて、ますます描くのが嫌になって。だから仕事とは関係なく、江口君の絵を真似したイラストをたくさん描いた。かわいい女の子とか描けるようになっていったので、壁に貼ってたんですよ。そしたら、名前も憶えてないけど当時一回だけ来たアシスタントが「これ国友さんが描いたんですか?こういうのが描けるなら、描けばいいじゃないですか」と言われて。
それで当時、原作もらって月刊誌で剣道の漫画を劇画調で描いていたんだけど、絵を江口君っぽく変えていっちゃった(笑)。原作もつまらなかったので無視して勝手にやってたら、原作者が怒っちゃって。そりゃ怒るよね(笑)。で、結局、連載を辞めることになったんです。でも仕方ないかなと思ってた。
――反乱を起こしたんですね。
国友:ある意味でね。でも、その時の編集長が「次なんかやらない?」って言ってくれて。正直、原作ものはもうやりたくない、オリジナルで描きたい、って一か八かで言ったら「いいじゃん、描きな」と言われて。それで10年ぶりにオリジナルを描いた。おかげさまでそれが反応よくて、いろんな出版社の編集者の目にとまって、オファーが次々と来るようになって。そんな中で双葉社の編集長が来て、いきなり連載しようということになって。優秀な編集者がついて、『ジャンクボーイ』を描いたら大ヒットして。
――『ジャンクボーイ』における江口寿史の影響は、こちらから伺おうと思ってたんですが、やはりモロに影響を受けてたんですね。
国友:はい、もうまんまですよ(笑)。もちろん、僕のほうがへたくそだけど。僕が江口君の影響を受けたことを、江口君は知らなかったんですよ。ほとんど面識なかったんですけど、なんと江口君が『幸せの時間』の大ファンらしいという話を聞いて、初めて会ったら微に入り細にわたって読んでくれていて。僕のほうがリスペクトしてたのに、不思議なもんだなあと。ただね、『ジャンクボーイ』以降はどんどん自分の本来の絵に戻ってくのね。だから今の絵は自分のスタイルなんですけどね。
※次回「第2回 バブルと寝た漫画『ジャンクボーイ』」は近日公開予定
江口寿史の影響を受けたという(『ジャンクボーイ』1巻より)国友やすゆき/双葉社
<取材・文/真実一郎>
【真実一郎】
ライター。サラリーマンの傍ら、『週刊SPA!』にてコラムを連載中。サラリーマンという生き方の現在過去未来をマンガを通して考えた著書『
サラリーマン漫画の戦後史』(宝島社新書)も発売中
サラリーマン、ブロガー。雑誌『週刊SPA!』、ウェブメディア「ハーバービジネスオンライン」などにて漫画、世相、アイドルを分析するコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(新書y)がある