ラクしてお金をもらえると思ってるパパ活女子は意識が低い
パパ活といっても、その内実は男性相手に「女」を売ることにほかならないのです。
やっていることの延長線上には売春がありますから、多かれ少なかれ精神は摩耗します。自分の「女」に値段をつける寂しさ、男性からお金をもらうときの虚しさ、身の毛もよだつ性的侵入、すべてを受け入れて消化し、嫌なことがあっても前に進む精神の強さがなければ、パパ活をしてもメンタルヘルスを悪化させるだけではないでしょうか。経験の浅い女性ならなおさらです。
社会的地位のある男性は、メンタルヘルスの管理に長けた方ばかりですから、「心を病んだ女の子は嫌だ、素直な女性がいい」と言います。生半可な気持ちでパパ活をはじめ、自分のやっていることをうまく引き受けられずに歪んでしまった若い女性は、そのうちパパ活おじさんたちからも見放されてしまうかもしれません。
まあそのほうが、健全な生活に戻れるのでよかろうと私などは思っておりますが。
さて「パパ活」には、「パパ活女子」というライトな呼称がつくようですが、愛人が「愛人女子」と呼ばれることはありません。参入女性の年齢層が高いことも関係しているでしょうが、愛人にはどこか暗さをもった、社会的にいけないことをしているという後ろめたさのもとに生きているという自覚と覚悟があるからではないでしょうか。
その覚悟は、女を売りにする虚しさを受け入れたあとに、心の底から染み出してくる諦めのようなものです。私も愛人生活をさせていただくようになって、様々なことを諦めました。自分という存在を高値で売るには、意識の量を増やして自己を眺め、ある種の覚悟を決めなくてはなりません。お金を稼ぐというのは、そういうことではないでしょうか。「パパ活女子」よりいくらかは覚悟ができているとはいえ、私もまだまだですから、日々精進しているところです。
<文・東條才子>