閉店理由は「銀座線」――駅と直結していないのに一体なぜ?
東京メトロ銀座線はもともと「東洋初の地下鉄」として1927年に部分開業(上野―浅草間)した東京地下鉄道を起源とし、今年で90年を迎える。表参道駅は1938年に東京高速鉄道(帝都高速度交通営団の前身)銀座線青山六丁目駅として開業し、その翌年、現在の銀座線にあたる区間は全通を迎えた。青山六丁目駅は神宮前駅を経て、1972年に表参道駅に改称されている。
銀座線は「東洋最古の地下鉄」であるため、のちに建設された地下鉄と比較して非常に浅い位置を走っているという特徴がある。その浅さゆえに、1945年1月の銀座空襲では地下鉄でありながら大きな被害を受けることになり、復旧まで2か月も要したほどだ。これは、大型河川や運河を多く跨ぐために比較的深い位置に建設された大阪市営地下鉄御堂筋線が空襲時に避難者輸送をおこなうなど「防空壕」の役割を担ったこととは対照的であった。
東京高速鉄道の開通時に運用されていた100形電車(地下鉄博物館にて)
近年、銀座線は部分開通から90年を迎えて設備の老朽化が深刻なものとなっていたうえ、戦後に開通した路線に比べてバリアフリー化も進んでいなかった。そこで始まったのが「銀座線リニューアルプロジェクト」だ。
東京の主な地下鉄路線におけるトンネル部の最大深度推移。 銀座線は最も深い部分でも16mしかない。 (国土交通省(2007、2012改訂)「新たな都市づくり空間 大深度地下」より引用。年は全線開通年)
しかし、地上から浅く、天井が低くて構内も狭い銀座線の改良工事は困難を極めた。とくに、銀座線表参道駅は半蔵門線表参道駅と一体化されており、さらに千代田線との乗り換え駅であるうえ渋谷方面にはかつて使われていた「幻のホーム」跡も存在するなど構造が複雑で、その結果、工事が地上の建物にまで影響を及ぼすことになってしまったというわけだ。アンデルセンでは、地下鉄の改良という公共性に賛同して東京地下鉄(東京メトロ)に建物全体を譲渡することを決めたという。