が、今あの工場が存続していれば、正直「ブラックだ」と言われていたかもしれない。それは経営の一端を担っていた筆者の力不足でしかなく、最後までついてきてくれた職人には今でも感謝と詫びの念しかないのだが、こうして父の工場がなくなり、日本の中小零細企業を客観的に取材・分析するようになると、多くの下請け工場が同じように「ブラック企業」にならざるを得ない状況へと追いやられていることに気付かされ、引き続き胸が痛むのだ。
下請け企業がブラック企業にならざるを得なくなるのには、間に挟まれやすい立場に原因がある。父の工場で起きた事例から見てみよう。
父の工場は創業以来、多くの大手工場から「浮気」されることなく仕事をもらっていた。その一番の理由は、どんな時でも依頼を断らず、与えられた納期を守ってきたところにある。下請けが大手と信頼関係を築き上げるのには最もシンプルな方法であり、そして最も難しいことでもある。
自動車業界には製造ラインにおける独特の波や、突然の仕様変更などがあり、繁忙期と閑散期の差が著しく、その仕事量は1か月先でさえもなかなか読めない。大手が休む盆や正月、大型連休には普段の2倍以上の仕事が舞い込むが、先述したように、職人になるまでには相当な年数を要するため、繁忙期だけ即戦力になる職人を増員するというのは物理的に不可能だ。結局はその期間、1人が2倍以上の仕事をする他に術がない。
それが一転、大手の自動車製造ラインが止まり閑散期に入ると、今度は構内の掃除や草むしりをする日が続く。活発に動くのは、営業担当の持つ携帯電話の発信履歴のみ。経営側の立場としては、むしる草が生えてくるのを待つ時ほど、精神的に辛いことはなかった。
こうして、繁忙期には工場を休みなくフル稼働させて得意先の機嫌を維持し続け、閑散期には35人もの雇用を維持し続ける。どちらもおろそかにすれば、仕事は簡単に他社に流れるのだ。
それでも現場が長い熟練職人には技術や経験があるため、自分が引き受けた仕事は、どんなに残業しようが最後までやり通すというプライドと、「下請け」という立ち位置に対しての理解があったのだが、入社して間もない新人の中には与えられた納期の重みを理解できず、残業に対して不満を持つ者もいた。