青春をかなぐり捨て「純粋になりきれた者」だけがプロになれる
先ほどの「バイトなんかする時間はない」にもつながるが、連盟は奨励会員のアルバイトを禁止している。コンビニでレジ打ちをする間は詰将棋を解くことができない、お前らは将棋だけに集中しろ、という理由である。
必然的にある程度経済的余裕がないと将棋のプロを目指すことすらできない。実は、プロ将棋の世界とは人生経験やハングリー精神が一切役に立たない分野なのだ。だからこそ、起きている時間全てを将棋に捧げなければならず、その時期にデートだの、合コンだの、バイトだのにうつつを抜かしていれば到底プロなどなれない。
奨励会員に青春はない。いや、人間ですらない。「人間になりたい」と呻く「妖怪人間ベム・ベラ・ベロ」そのものだ。島朗九段の「純粋なるもの」という著作があるが、プロ棋士とは青春を捨てて「純粋になりきれた者」だけができる職業なのだ。だから、四段以上の棋士は、たとえ中学生でも40近くの男から「先生」と呼ばれる資格があるのだ。
寿子氏は「今でも思うんですよ。なんで、うちの息子が四段になれたのだろう、って。きっと、直裕より強かったのに四段になれなかった人がいたと思うのです。だからこそ、息子はもっと頑張らなければならない立場だと思うんですよね」と言う。
筆者は、三段までの石田直裕は一切知らない。初対面は彼の四段昇段記念パーティだった。だが、多くの棋士を見てきた筆者ははっきりと答えられる。それは、彼が奨励会時代に純粋になりきれたということだ。
母・寿子が見ていないところで一心不乱に将棋に打ち込み、諸々の悪い誘惑を断ち切ってきたからだ。バイトの時間もないくらい、将棋の研究を続けたからだ。それでも、結局彼が三段リーグを抜けるのに四年八期を要した。
名前は伏せるが、友人の元奨励会員(つまりプロになれなかった)が呟いたことがある。
「今にして思えばですが、ダメそうになるともうダメになったヤツから麻雀その他のお誘いの電話がかかってくるんですよ。そしてそれに乗ってしまう自分がいるんですよね」